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Episode 09: IPA〜進化は止まらない〜

今回のテーマはIPA。前回、ペールエールの回にも、現代のペールエールの直接の祖先として紹介したビアスタイルだ。正式にはインディア・ペールエール(India Pale Ale)である。直訳すれば、「インドの淡色のエール」とでもなるのだろうが、残念ながら、インド生まれでも淡色でもない。前回書いたとおり、正真正銘の英国発祥のスタイルだし、色も赤銅色のようなものが多い。

IPAはホップを大量に投入して、ホップアロマと苦味が強められたものであることも、みなさんはご存知のとおりだろう。

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ホップがビール作りに使われ始めたのは12世紀頃と言われており、主原料として用いられ始めたのは15世紀になってからだ。それは香りや苦味もさることながら、ホップが有する防腐作用によるところが大きい。

ビールは生鮮食品であると言っても過言ではない。工場でできたてのビールであっても、瓶詰め、缶詰めされた瞬間から劣化が始まる。適切な温度で管理されていたとしても、できてから6週間もすれば、明らかな酸化の兆候が感じられるようになる。

もし、酒販店やスーパーで製造年月日から1ヶ月以内のものを見つけたら、ぜひ試してみてほしい。一方、できてから2ヶ月以上経ってしまったものは、敬遠した方が賢明かもしれない。特に夏の暑い時期に、外気温と同じ環境で保管されたものなど、好奇心で試してみる場合を除けば、とてもオススメできる代物ではない。

そう、IPAはビールの保管問題と大きく関連している。

大航海の恩恵

英国では18世紀くらいから、ビールの海外輸出が盛んに行われるようになった。当初の輸出先はロシアをはじめとする北方の国々だった。輸出されていたものの多くはロンドンなどで人気を博していたポーターと呼ばれる黒ビールで、アルコール度数が高められたものであった。

いわゆるインペリアルスタウトと呼ばれるビアスタイルである。アルコール度数が高いことと、寒冷地への運搬であったことから、ビールの劣化は比較的避けられていたものと考えられる。

ところが、いわゆる大航海時代、アジアなど熱帯、あるいは亜熱帯の地域へ英国人たちが旅立つようになると、ビールの保存は大きな問題となっていく。特に英国は東インド会社を設立し、インドとの交易を始めるのみならず、いずれ彼の国を統治するようになる。

当然のように、インドへの旅は多くの英国人を運ぶのみならず、ビールを運ぶ旅でもあった。このとき運ばれたビールも、ロシアと同様、ポーターのようなものだったと考えられる。ところが、北方の国に運ぶのとは状況があまりに違いすぎた。

当時、英国からインドへ行くためには大西洋を南下し、アフリカ大陸の南端、喜望峰を通り過ぎてインド洋へと向かうことになる。その船旅は6ヶ月にも及び、しかも赤道を2回越える必要があった。当然、ビールは悪くなってしまう。そこで保存性の高いビールが望まれるようになったのである。

18世紀の末頃の英国では、いずれチェコで誕生するピルスナーほどではないにせよ、コークスを用いて安定して熱を加え、ある程度色が薄めの麦芽、今で言うペールモルトを作る技術が確立していた。この麦芽を用いて人気があったビールにジョージ・ホジソンの手によるオクトーバービールがあった。

オクトーバービールは、度数が高く、ホップが効いていて長期保存もできた。インド航路での需要を知ったホジソンは、ポーターに代わって、色が比較的薄いオクトーバービールをを輸出するようになるわけである。このビールはやがてペールエールという名で呼ばれるようになる。

このビールはインドで人気を博し、いずれ、英国国内市場にも流通させる動きが生まれた。当時、鉄道網も発達し始めていたため、国内のビール輸送も以前より容易になっていた。そのため、この輸出用のペールエールは、またたく間に英国内に広がっていくこととなった。

この頃から、このビールは東インドに端を発するペールエール、イースト・インディア・ペールエールと呼ばれるようになった。そう、これこそが、IPAの名称の起源と言えるわけである。

バランスが命

さて、IPAはホップを大量に使用している。苦味の強さを示す値、IBUは35から、高いものだと60を超える場合もある。仮にただの炭酸水にそれだけの量のアルファ酸を溶かしたものを作ったとしたら、苦くて飲めたものではないだろう。ひたすら苦いだけで良薬ですらない。

ところが、IPAが60を超えるIPAでも抵抗なくさわやかに飲むことができるのはなぜか?それは麦芽由来の甘みとバランスが取れているからである。IBU値を高め、ホップの苦味が強くなるとすれば、それと負けないくらい、ビールの甘みを強めてやる必要があるわけだ。

では、甘いビールを作るためにはどうするか?ビールの甘みは、酵母がアルコールに変換しきれなかった残留糖分である。一般に酵母は、麦汁中の糖をすべてアルコールに変換できるわけではなく、一定の割合でアルコールを生成するが、残りは糖のまま残る。この割合がいわゆる発酵度と言われる数値である。

残留糖分を高めるためには、最初に麦汁を作る際の糖による比重(初期比重)を高めることが必要で、そのためには大量の麦芽を用いて仕込みを行なえばいいのだ。では、大量の麦芽を使うと何が起こるか?酵母の発酵度が一定だとすると、残留糖分の量も増えるが、一方でできあがったビールのアルコール度数も高くなるのである。

したがって、一般にはアルコール度数が高いほど甘いビールであると言える。したがって、ホップを大量に使ってIBU値を高めたIPAは、苦味とのバランスをとるために甘さを補完する必要があり、けっかとしてアルコール度数も高めに設定されるというわけである。一般的にIPAでは7%程度まで度数を高めたものも珍しくはない。

米国におけるバリエーション

さて、オリジナルの英国におけるIPAは英国産ホップが使用されているため、アロマにはフローラル、ハーバル、または土(アーシー)と呼ばれる特徴があり、フルーティーな香りがあったとしてもほのかにレモンのような香りが感じられる程度である。

一方、前回紹介したペールエールの場合と同様、アメリカで進化したバージョンは、ミルセンが豊富に含まれた米国産ホップが使用されるため、柑橘や松脂、ストーンフルーツなどの香りが強烈に香る「派手」な香りがアイデンティティとなっている。

1980年代以降のアメリカのクラフトビール・ムーヴメントの中で、アメリカンIPAは一つの代表的銘柄としての地位を築くこととなる。

中でも、西海岸はカリフォルニア州サンディエゴを中心とするエリアで作られるウエストコーストIPAは、暑く乾燥した気候でも飲みやすいように、甘さが控えめでドライであり、ボディも軽めに仕上げられたものが多い。このスタイルはあっという間に世界中へと伝搬し、アメリカンIPAの代名詞のように呼ばれることすらある。(下写真は代表的銘柄の一つ、ストーンIPA)

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一方、大陸の東側では、オーソドックスな英国風のIPAに近い、イーストコーストIPAが作られている。さらに、米国におけるホップの一大産地であるワシントン州やオレゴン州を含む太平洋北西岸地域では、ホップのフレッシュで鮮烈なアロマとジューシーな口当たりを引き出したパシフィックノースウエストIPAが作られている。

ちなみに、近年、ホップのジューシーなキャラクターで人気を博したニューイングランドIPAは、パシフィックノースウエストIPAの東海岸からの回答であると個人的には考えている。

実は、ここで述べたいくつかのIPAのスタイルは米国の Brewers Association のビアスタイルガイドラインでは個々のスタイルとして区別されていない。ある意味、通称に過ぎない。すべて単にアメリカン・インディア・ペールエールとして一つのスタイルに分類されている。もちろん、日本地ビール協会のスタイルでも同様である。

ホップキャラクターを楽しむ

米国におけるIPAのバリエーションの話を進めよう。前回のペールエールのときにも触れたが、ホップには中毒性がある。そのことを反映してか、ホップの苦味やアロマを強めたスタイルも生まれていくことになる。

まず、苦味を強めたバージョンとしては、ダブルIPA(正式なスタイル名はインペリアルIPA)が挙げられる。ダブルIPAのIBUは最高で100にも及ぶ。苦みと甘みのバランスを取るためにアルコール度数も強化されており、7%から10%にまで強めたものもある。

さらにホップの苦味を強めたものとしてトリプルIPAと呼ばれる銘柄もあるが、これも正式なビアスタイルとしては定義されていない。また、ホップの使用量が2倍、3倍というわけではなく、ダブルよりもIBUやアルコール度数が高い、というくらいの意味である。

一方、ホップアロマにフィーチャーしたビアスタイルもある。一つは、とれたてのホップを使用したフレッシュホップIPAである。正式なビアスタイルとしては「フレッシュ・ホップ・エール」に分類される。使用されるホップはとれたてのホップを乾燥させたものや凍結させたものだけではなく、乾燥させていないウェットホップを用いたものもある。とれたてのホップは品種特有のキャラクターに加え、青草や刈りたての芝のような香りも感じられる。

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さらには、近年、新しいビアスタイルとして定義されたジューシーまたはヘイジーIPAがある。このスタイルはホップを大量に用いているのみならず、オーツ麦や小麦を用いていることで、見た目が非常に濁っていることと、一次発酵の後にホップを漬け込む、いわゆるドライホッピングを行なうことで鮮烈なホップキャラクターが感じられる点が特徴である。また、アロマとは対象的にホップの苦味を低く抑えている点もユニークである。

さらにラクトースを用いたミルクシェイクIPAや、発酵度の高い酵母や糖を分解する酵素を用いて残留糖分を極めて低く抑え、いわゆる辛口に仕上げたブリュットIPAなどというスタイルもここ数年の新顔と言えるだろう。これらは正式にはエクスペリメンタル(実験的な)IPAと呼ばれるビアスタイルに分類されている(日本地ビール協会のガイドラインでは「エマージングIPA」と分類されている。)

これからも、醸造家たちの創意工夫によって、ホップキャラクターに光を当てたどんなビアスタイルが誕生するか、予想がつかない。IPAの進化は止まらないのだ。

代表的銘柄

《イングリッシュスタイル・インディア・ペールエール》
  Fuller's India Pale Ale(英国)
  こぶし花ビール Premium IPA(埼玉県/IBC2021金賞*)
  大根島醸造所 Full Throttle IPA(島根県/JGBA2021銀賞**)
  長濱ロマンビール 長浜IPA Special(滋賀県/IBC2021銅賞*)
 
《アメリカンスタイル・インディア・ペールエール》
  Stone IPA(米国)
  Lagunitas IPA(米国)
  Firestone Walker Union Jack IPA(米国)
  Cigar City Brewing Jai Alai IPA(米国/IBC2021銀賞*)
  Revision Brewing Revision IPA(米国/IBC2021銅賞*)
  伊勢角屋麦酒 IPA(三重県/IBC2021金賞*)

  よなよなエール インドの青鬼(長野県/JGBA2021銀賞**)
  亀戸ビア 天神IPA(東京都/JGBA2021銀賞**)
  六甲ビール スサノオIPA(兵庫県/JGBA2021銀賞**)
  J-Craft Hopping ガツんとIPA(静岡県/JGBA2021銅賞**)

* IBC: International Beer Cup
** JGBA: Japan Great Beer Awards

IPAでクラフトビールを知った、という方も少なくないと思う。上に挙げたイングリッシュスタイル、アメリカンスタイルだけではなく、ぜひ時代の最先端を行く新しいスタイルも楽しんでみてほしい。ただし、飲みすぎてホップ中毒にだけはならないようにご注意あれ。

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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また、ビールのテイスティング法やビアスタイルについてしっかりと学んでみたいという方には、私も講師を務める日本地ビール協会「ビアテイスター®セミナー」をお薦めしたい。たった1日の講習でビールの専門家としての基礎を学ぶことができ、最後に行なわれる認定試験に合格すれば晴れて「ビアテイスター®」の称号も手に入る。ぜひ挑戦してみてほしい。東京や横浜の会場ならば、私が講師を担当する回に当たるかもしれない。会場で会いましょう。

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