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芝生の上、志村正彦を想う

こないだ久しぶりに夏フェスに行ってきた。アーティストが発表される前にチケットは購入していたのだが、トリがフジファブリックと知りそれだけでもこのフェスに行く意味を感じた。

学生時代から邦楽ロックが好きな同世代ならみんな知っているバンドだと思うが、私が好きになったのは2008年に発売された3枚目のアルバム『TEENAGER』がきっかけだった。今や誰もが知る名曲となった『若者のすべて』も収録されている。

このアルバムで彼らを知った人も多いと思うが、他のアルバムと比べるとだいぶポップで大衆的。それ以前の曲たちは特に、今まで聴いたことがないようなリズムと歌詞、そして上手いのか下手なのかよくわからないボーカル、という異色のバンドだった。なんとも言えぬ「変態感」と聞きやすさを兼ね備えたバンドは、今に至っても他に知らない。

当時私はロッキンジャパン等の音楽雑誌を毎月のように買っては、好きなアーティストのインタビューを何度も読み返していた。その中でもフジファブリックのボーカル、志村さんのインタビューは印象に残っている。

『TEENAGER』は初めて、自分だけでなくメンバーが作曲した曲も収録してとても良いものにはなったが、なんとなく自分の中で腑に落ちてないような、悔しいようなそんな気持ちもあって、次のアルバムは全部俺が作る!みたいなことを言っていた(ような気がする)ので、だいぶ「ワンマン」バンドだなぁとか、ドラマーが相次いで脱退していた経歴から、メンバーに大して厳しいのではなどとも思っていた。

友達同士でバンドを組んだのではなくて、良い音楽を追求して出会ったバンドメンバーなのでしょうがないとも思いつつ、「いつか解散してしまうんじゃないか」と、好きになり始めた時に読んだ志村さんのインタビューは結構ショックだった。

そして翌年、アルバム『CHRONICLE』が発売。ストックホルムでレコーディングされたというアルバムは、今までとはまた違って、志村さんの内面を歌詞にした曲が多かった。初回限定盤を購入し、ワクワクしながらCDプレイヤーに入れてスイッチを入れた瞬間、『バウムクーヘン』の最初のキーボードが聞こえてきた瞬間、「うわああああ‥!!」と思った。なんて可愛いメロディ!!‥ん?あれ、歌詞めっちゃ暗いやん!!と感情が大忙し。でもなんだか、胸があったかくなるような。そんな曲が沢山詰まっていた。

そして、付属でついてきたDVDがすごく良かった。そこには、ストックホルムでレコーディングをする自然体の彼らがいた。家族みたいな、会社の同僚みたいな。でも私から見ても、明らかにこのレコーディングで仲を深めている様子の4人に、なんだかホッとしたのを覚えている。「なーんだ、このバンドは解散しないな」と思っていた。


同年のクリスマスイブ、ボーカルの志村さんが急逝する。享年29歳だった。

あまりに急すぎて、一番辛くて悲しい死因が頭に思い浮かんでいた。それが、さらに彼の死という悲しみを増幅させていた。

普段通りの学校生活を送りながらも、お風呂に入ってひとりになると、嗚咽と涙が止まらなかった。なんで、なんで‥。彼を問い詰めてしまう日々が続いた。

翌年、志村さんが遺したデモ音源を元に、遺作となるアルバムが発表された。その中に、ギターの山内さんが歌った『会いに』という曲が収録された。悲しい気持ちと嬉しい気持ちで、ふわふわした状態だった。

そしてまもなくして、残されたメンバーの3人でフジファブリックを続けることが発表された。けれど私は彼らの曲は聞けずに、志村さんの曲ばかり聞いていた。もちろん悲しいから聴けないという気持ちもあっただろう。けれど、やっぱり志村正彦というフロントマンは、シンガーソングライターはどうしたって唯一無二で、あの歌詞もメロディもリズムもボーカルも、誰にも代えられるものではないという気持ちが強かったのだと思う。

志村さんがいなくなってからフジファブリックを知ったという友人に、「新しいフジファブリックの曲もすごくいいよ」と言われても、「私の気持ちがわかるもんか」と思っていた。

さて、冒頭の夏フェスの場面に戻る。そんな気持ちを抱きつつ、社会人になって音楽からも少し離れていた私にとっては、「懐かしい曲が聴けたらな」という軽い気持ちで3人のフジファブリックを楽しみにしていた。

ステージの真ん中に立つ山内さんは「こんなにおしゃべりだったっけ?もっとぱやぱやしてなかった‥?」と思うくらい完全なる(ギターが超絶上手い)フロントマンで、ベースの加藤さんとキーボードの金澤さんは相変わらず素敵で、次々と演奏されるのは知らない曲のはずなのに、なんだか懐かしくて、紛れもなく私の大好きだったフジファブリックだったのだ。

家に帰ってからも、志村さんがいなくなった後のフジファブリックについての3人のインタビューをひたすら読んだり見たりした。彼らがどれほどの勇気を出して続けることを決意したのか。知れば知るほど「志村さんは自ら死を選んだのではない」と確信した(未だ死因は不明)。もしそうであったらメンバーも知っているはずで、誰よりも志村さんと沢山の時間を過ごした彼らが、こんなに前向きに活動を続けられるわけない。その確信は、私の中のもやもやを解消してくれた。

これから沢山フジファブリックの曲を聴こう。新しい曲も、昔の曲も。ツアーも行きたい。14年間蓋をしていた気持ちがぶわぁっと盛り上がるように、彼らへの愛情や感謝が溢れて止まらなくなった。

山内さんは「フジファブリックは志村くんが作ったバンドなので、解散することはないです」と言っていた。ファンにとってこの上ない言葉である。「杖をついてもやってたい」と語る彼と微笑む2人に、あぁ、4人は本当に深い絆で結ばれていたんだなと、14年前の答え合わせができたような、あったかい気持ちになった。

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