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『時間についての十二章-哲学における時間の問題-』内山節

哲学者・内山節さんの『時間についての12章』がとても面白かったので、備忘録的に。


『時間についての12章』は、タイトルの通り時間についてのエッセイをまとめたものだ。そのなかで語られているのは、「実態的時間(時計の時間)」にたいして「関係的時間」があり、そんな「関係的時間」をとりもどすことが現代人にとっての一つの解放であるということ。

実態的時間とは、ぼくらが一般的に「時間」と聞いてイメージするような、直線的で、不可逆的で、客観的な時間。それはぼくにとっても、あなたにとっても同じ基準として、カチコチ時を刻んでいる。

一方で、「関係的時間」とは、自分と自然や、自分と他者といった関係性の中で生まれる時間。それは直線的というよりも循環的で、客観的というよりも主観的で、等速というよりも時にゆらぎ、時に流れをはやくする時間だ。

「時間が存在するには関係が生じなければならない。その関係には、自然と自然の関係も、自然と人間の関係も、人間と人間の関係もあるだろう」111-112頁

たとえば同じ10分でも、オフィスで領収書を整理している10分と、キャンプ場で気のおけない友達と焚き火を眺めている10分とでは、客観的には同じ10分でも、ぼくが感じる時間の手応えのようなものはまったく違う。そうした時、ぼくは人や自然との関係性のなかで生まれる時間があるのだということを実感として感じる。


内山さんは、近代化について、時間の合理性、つまり「実態的時間」を確立させてきた過程だという。つまり、もともとは時間というものは、村とか、マチとか、家族とか、そういった共同体の関係性のなかで生まれるもので、さまざまな時間が存在していた。

けれど、共同体が解体されて近代市民社会が成立するなかで、時間も関係から生まれるものから、客観的で均質な時間をもとに誰もが行動するようになった。

そうした過程を経た現代に生きている現代人のつらさの一つは、そもそも人間がつくりだしたものであるはずの時間に、人間自身がしばられるようになってしまっていることだと思う。

長時間労働の是正ももちろん大切なのだけれど、その結果あまった時間で、またせかせかプライベートをすごすのでは、現代人のつらさは本質的には解決しないんじゃないか。

大切なのは、どれだけの長さの時間をプライベートにまわせるか、ではなく、「関係的時間」を一人ひとりが取り戻すことなんじゃないかと思う。

その意味では、そうした「関係的時間」を取り戻そうという取り組みも全国で生まれはじめている。その紹介は、また後日。

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