「誰かを大事におもう」から「大事にする」までの何光年もの距離
「家族とはうんたらかんたら」と、学んだり語ったりしているけども、実際の身近な人との関係はほんとうにままならないままだ。
友だちだったら気にならないことも、家族やパートナーだと気になってしまったり、言うべきでないことを言ってしまったり、するべきでないことをしてしまったり。
そんなことをくりかえしながら、「おれ、こんなにひどい人間だったのか…」なんて、うちひしがれることがよくある。週一くらいである。(昨日もあった)
「誰かを大事におもう」ことと、「誰かを大事にする」ことは、近いようで何光年もはなれているような気がする。「誰かを大事にする」ことは、観念じゃなく態度だ。標語じゃなく行動だ。
いくら家族やパートナーシップの本を読んでも、それだけだと「料理法にやたらくわしいけど、つくるメシはまずい料理人」みたいになってしまいそう。
いやだー!そんなメシ、くいたくない!つくりたくない!ほんと、ちゃんと行動せねばなぁ。
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