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世界最速のインディアンのこと 2

愛すべきオールドボーイ  〜前日(7/14の続き)

ここまでの文章を読んだあなたは、 記録に取り付かれた狷介で偏屈な老人を想像するかもしれない。
だがバートは人を寄せ付けない孤高の天才などではなかった。
それどころか回りの人を引きつける強烈な魅力を持っていた。
アメリカンドリームが輝きを放っていた時代。
目標に向けて努力を続ける姿勢は、賞賛の対象であり、人なつっこいその性格は、人々が思わず手を差し伸べたくなる存在でもあった。
バートを突き動かしていた「自分の マシンをより速く走らせたい、
そのための努力は惜しまない」という情熱の力。
スピードの神に恋した男は、周囲の人々をして愛さずにはいられないオ ールドボーイでもあったのだ。
映画の中でボンヌヴィルまで愛車を運ぶ旅の様子が一種のロードムービーのように描かれている。そこにちりばめられた人々との温かい交流の多くは実話に基づいている。いやその人を魅了する性格なしに、彼が記録を達成することはできなかったろう。

Herbert James Munro ( 1899~1978) 本名ハーバート・ジェイムズ・マンロー バート・マンロー ニュージーランド、インバーカーギル生まれ。
彼とその愛車 "インディアン・マンロー・スペシャル” はアメリカで未だに高く評価されている。
また 2006年にはアメリカモーターサイクル協会のオ ートバイ殿堂入りも果たしている。

夢は今も続いている

夢を現実にする力。人はそれを情熱の力、
あるいは努力の結果という言葉で言い表すことがある。
そして純粋な心で夢に向かって突き進む者を見るとき、
人は自然に笑みを浮かべ、夢の一端に手を差し伸べたくなる
生き物なのではないだろうか。
この年、バートは時速281kmで予選を通過し、本戦では時速288kmという
当時のクラス別世界最高速記録を達成している。

映画の主演はアンソニー・ホプキンス

年齢や境遇、才能を理由に夢を諦める必要などない・
そう、先人たちもこんな言葉を残しているではないか。
「ボーイズ ビー アンビシャス]
クラー ク博士のこの有名な言葉には続きがある。
ライク・ア・ディス・オールドマン= この老人のようにと。

夢は決して若い世代の独占物ではない。
その証拠に、40年以上もの昔、
それを自らの手で示してくれた人がいたのだから。
バートマンロー。 彼はその後もボンヌヴィルでの大会に出場するごとに記録を更新し、 1967年8月26日、66歳で出した S-A1000ccクラスの自己最高記録183・586マイル(約295km)※1を破る者は未だに現れてはいない。

※1:2024年7月現在の時点で上記のS-A1000ccクラスの時速183・586マイル(約295km)が最高記録か否かは確認できておりません。

余談
バートは近所の子どもにこんなことを言っていたそうだ。
「忘れるな。夢を追わない人間は野菜と同じだ」
言われた子どもがどんな野菜?と尋ねると、バートはこう答えた。
「さあな、キャベツだ。そう、キャベツだ」


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