見出し画像

舵をとり風上へ向く者

自分の教養の無さに改めて気づかされました。
なにが?って、表題にあげた1行のことですよ。
昔から好きな矢作俊彦氏の著作の中でも秀逸なタイトルだななんて。
大好きなネーミング、イイなって思ってました。 (ほらね、すでに)
今日、なにげなく検索して分かったことが・・・。
誰も見てはいないが赤面。
T.Sエリオットの詩の一節だったとはね。

       以下詩の全文
         ↓
フェニキア人のフレバス、死んで二週間、鴎の鳴き声も、
また深海のうねりも商売の損得も忘れてしまった。
海底の流れはひそひそと死骸をバラバラにした。
浮き沈みして遂に渦へ巻き込まれるまで
老いの日若き日のことなど 次から次へと彼は憶い起した。
キリスト教徒もユダヤ人でも
舵をとり風上へ向く者は
誰でもかつては美男で人なみに背も高かったフレバスのことを考えよ。  T・S・エリオット(西脇順三郎・訳)『荒地』
(『世界文学全集48 世界近代詩人十人集』所収、新潮社、1963)

かつて美男だったことも、背が高かった記憶もないが、
舵を取り 風上へ向くものでありたいという気持ちはいつも持っていた。 (すぐ忘れることはあったとしても)
怠け癖や喉元過ぎれば‥、とりあえずいいや、あとでやろうetc。
怠惰で、小心で、小狡いくせに、マヌケな己との諍い。
明日こそ 舵を取り 風上へ向くもの へ近づくために。
死がその歩みに留まれと命じても 尚。

いやいや、どうにもいけませんね。
こういう田舎芝居みたいなケレンがダメなところなんです。
自分でも分かってはいるんだけれど、習い性ってヤツでして。
ひとまずは反省しきりとのお見立てでご勘弁を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?