【442日目:毎日ご質問回答】時々思い返し、心に刻んでいる偉人の言葉があれば、教えてください。

ご質問ありがとうございます。

それは、植物学、植物分類学の父と呼ばれる牧野富太郎さんの赭鞭一撻(しゃべんいったつ)です。牧野さんの生まれ故郷である高知県高岡郡佐川町や高知県に1年半ほど、自伐林業を学び、技術習得するために暮らしたことがあります。森林学、植物学を志した人では知らない人はいない偉人です。私自身は植物を分類すること、植物の名前を覚えることよりも、植物と人間の関係性や気象への影響などに興味を持ちそのような研究をしました。

二十歳前後の人間がまとめたと思えない深くて広い洞察のある言葉です。一年に一度見返して、心に刻んでいます。森林学や気象学などで現場研究者を志していた頃はそのままの内容で、現在は抽象度をあげて、『周りの人やモノと繋がりながら、自分の情熱の対象の成果物をまとめるための志』として読み返しています。情熱は冷静な頭脳と熱い心で出来てるんだな。

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赭鞭一撻(しゃべんいったつ)
一、忍耐を要す(我慢することが必要である)
何事においてもそうですが、植物の詳細は、ちょっと見たぐらいで分かるようなものではありません。行き詰まっても、耐え忍んで研究を続けなさい。

二、精密を要す(正確であることが必要である)
観察にしても、実践にしても、比較にしても、植物を説明する文を作成するにしても、不明な点、不明瞭な点があるのをそのままにしてはいけない。いい加減で済ますことがないように、とことんまで精密を心がけなさい。

三、草木の博覧を要す(草や木についての豊かな知識が必要である)
材料(草木)を多く観察しなさい。そうしないで、少しの材料で済まそうとすれば、知識も偏り、不十分な成果しか上げられません。

四、書籍の博覧を要す(たくさんの本を読むことが必要である)
本に書いてあることは、昔から今まで世界中の学者の研究の結実です。出来る限り多くの本を読み、自分自身の血とし肉とし、それを土台に研究しなさい。

五、植学に関係ある学科は皆学ぶを要す(植物に関係する学科は全て学ぶことが必要である)
植物の学問をする場合、物理学や化学(例えば光りのせいで茎が曲がったり)、動物学(花粉を運ぶ蝶)、地理学(どこでどんな植物が生えるか)、農学(有用植物の場合)、画学(植物画を描く場合)、文章学(植物を文章で表現する説明文)など、ほかの関係の学問も勉強しなさい。

六、洋書を講ずるを要す(洋書を理解する必要がある)
植物の学問は日本や中国よりも、西洋のほうがはるかに進んでいるので、洋書(西洋の本)を読みなさい(日本語や漢文の本ではだめです)。ただし、それは現在の時点においてそうであって、永久にそうではない。やがては我々東洋人の植物学が追い越すでしょう。[明治の初め頃の話]

七、当(まさ)に画図を引くを学ぶべし(理屈にあった図画技法の勉強をしなさい)
学問の成果を発表するには、植物の形や様子、生えている環境などを描写するのに最も適した画図の技法を学びなさい。他人に描いてもらうのと、自分で描くことは雲泥の差です。それに加えて練られた文章の力を借りてこそ、植物について細かくはっきりと伝えられます。

八、宜(よろ)しく師を要すべし(状況に適した先生が必要である)
植物について疑問がある場合、本だけで答えを得ることはできません。誰か先生について、先生に聞く以外ありません。 それも一人の先生ではだめです。先生と仰ぐに年の上下は関係ありません。分からない事を聞く場合、年下の者に聞いては恥だと思うようなことでは、疑問を解くことが死ぬまで不可能です。

九、吝(りん)財者は植物学たるを得ず(植物学者はケチではいけない)
以上述べたように絶対に必要な本を買うにも、(顕微鏡のような)器具や器機を買うにも金が要ります。けちけちしていては植物学者になれません。

十、跋渉(ばっしょう)の労を厭ふなかれ(方々の山野を歩きまわる努力を怠るな)
苦労をいとわないで植物を探して山に登り、森林に分け入り、川を渡り、沼に入り、原野を歩き廻りしてこそ、新種を発見でき、その土地にしかない植物を得、植物固有の生態を知ることができます。しんどいことを避けてはだめです。

十一、植物園を有するを要す(植物園が必要である)
自分の植物園を作りなさい。家から遠い所の珍しい植物も植えて観察しなさい。鑑賞植物も同様です。いつかは役に立つでしょう。必要な道具ももちろんです。

十二、博(ひろ)く交を同士に結ぶべし(多くの同好者と友達になりなさい)
植物を学ぶ人を求めて友人にしなさい。遠い近いも、年齢の上下も関係ありません。お互いに知識を与えあうことによって、偏りを防ぎ、広い知識を身につけられます。

十三、迩言(じげん)を察するを要す(一般の人が使う名前や呼び名から推察することも必要である)
職業や男女、年齢のいかんは植物知識に関係ありません。植物の呼び名、薬としての効用など、彼らの言うことを記録しなさい。子供や婦人や農夫らの言う、ちょっとした言葉を馬鹿にしてはなりません。

十四、書を家とせずして、友とすべし(本に書かれていると安心せずに、本を対等の立場の友と思いなさい)
本は読まなければなりません。しかし、書かれていることがすべて正しいわけではないのです。間違いもあるでしょう。書かれていることを信じてばかりいることは、その本に安住して、自分の学問を延ばす可能性を失うことです。新説をたてる事も不可能になるでしょう。過去の学者のあげた成果を批判し、誤りを正してこそ、学問の未来を明るくすることでしょう。だから、本(とその著者)は、自分と対等の立場にある友人であると思いなさい。

十五、造物主あるを信ずるなかれ(神を信じてはいけない)
神様は存在しないと思いなさい。学問の目標である真理の探究にとって、神様がいると思うことは、自然の未だ分からないことを、神の偉大なる摂理であると考えて済ますことにつながります。それは、真理への道をふさぐことです。自分の知識の無さを覆い隠す恥ずかしいことです。

牧野博物館『赭鞭一撻ノート』より

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