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チェロが「ダ・スパッラ」で演奏されていたのは、世界が逆さまだったからでしょうか? ダニエラ・ガイダーノ氏とアレッサンドロ・ヴィシンティーニ氏による、ヴィラ・コンタリーニ訪問

この記事は、D・ガイダーノ氏とA・ヴィシンティーニ氏のウェブサイトで2024年3月20日に公開された内容を、ご本人の了承のもと和訳したものです。
肩で弾くチェロ「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」については一つ前の記事をご覧下さい。

オリジナルの記事はこちら

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先月、ついにヴィラ・コンタリーニを訪問しました!

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「ついに」というのは、誰にでもよくあるように、この旅行は長い間延期されていたからです。その始まりは、日本のダ・スパッラ・チェロ奏者の三木恒路さんがFacebookでシェアしてくれた「L’orologio del piacere(喜びの時間)」という本の挿絵からの提案でした。


バルコニーで演奏している女性たちに注目してください。彼女たちは、様々な大きさの低音楽器とヴィオラを使っていました。
ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ演奏部分
(翻訳者による補足画像)
ヴィラ・コンタリーニの説明図

ヴィラを調査するこの素晴らしいプロジェクトは部分的にしか実現しませんでしたが、半分が欠けていたとしても、ここに到着した時の感動は想像に難くありません。

現在ここにはバーがありますが、ここはゲストが最初に見るヴィラの眺めの 1 つです。

このヴィラは、17世紀にサン・マルコ共和国の行政長官、つまり現代の言葉で言えばヴェネツィアの首相であったマルコ・コンタリーニによって建てられました。コンタリーニ家は、数世紀の間に 4人のドージェ (共和国の長) と 48人の行政長官を擁しました。

ヴェネツィアは今日では、観光客の楽園です。近くに住んでいて定期的に訪れる私たちにとっても、あらゆる景色が隅々までも息をのむほど美しいところです。しかし、400 年前にはいくつかの問題がありました。文字通り海に面して建てられたため、夏の気候は非常に暑く、湿気が多く、特に裕福でエレガントでありながら、(その時代特有の)複雑でかなり重い服を着なければならない人たちにとっては悪夢でした。

ヴェネツィアは商人の町で、世界中から高級品やスパイスが運ばれてきました。しかし、ここの食料生産は魚以外にありません。そのためこの都市は、小麦粉、ワイン、肉、牛乳、卵、果物、野菜を生産するため、田舎の畑を必要としていました。これらの商品をすべて輸送しなくてはならず、そのために川や航行可能な水路が使用されました。ヴェネツィアの裕福な貴族の家族はみな、田舎に別荘を所有していました。今日、ヴェネト州にはこの時代の別荘が約 4,000 軒点在し、食料生産施設や夏のレクリエーション施設として利用されています。

この町の裕福さは、海を通じた国際貿易を基盤としていたので、政治は生き残るために最も重要な活動でした。ヴェネツィアの大使はヨーロッパのあらゆる所にいて常に最も情報に精通していたため、ヴェネツィアにいるということは、ほぼリアルタイムで世界中のニュースや噂を知ることを意味していました。

ヴィラ・コンタリーニは、政治家、貴族、大使、裕福な商人のための 17世紀にレクリエーション村として建てられました。夏の間、ヨーロッパ中から約 800 人のゲストが招待され、ここでヴェネツィアの政治と社交生活が行われました。

ヴィラには、食料生産の設備がすべて整っているだけでなく、狩猟や散歩のための公園、果てしなく続く廊下(両側に180メートルの廊下と小部屋がある)、ゲストが会って商談をまとめるポーチがいくつもありました。小部屋のある廊下は、ヴェネツィアが発見してヨーロッパ世界にもたらした異国の風景や動物、ヴェネツィアの壮大さと権力を称える戦いを描いたフレスコ画でいっぱいです。

中央の本館には、ゲストを楽しませるための革新的な劇場、ダイニングルーム、ダンスルームがあり、夏にここに招待されるということは、ヨーロッパのすべての権力者が望んでいた大きな社会的地位の証であり、誰も断ることができませんでした。

言い換えれば、ヴィラはヴェネツィア共和国が当時の政治をコントロールするためのツールであるだけでなく、最高のマーケティングキャンペーン(販売活動)でもありました。小部屋のいくつかには、ガラス工芸品やメルレッティ(レース)など、海外から輸入された高級品やこの地で作られた高級品が展示されており、もちろんゲストはそれらを購入して持ち帰ることができました。

パーティーのプログラムと説明を記載した本がその場で印刷され、ゲストが持ち帰れるようにしたほか、ヴェネツィアの壮大さとそこに参加したことを広めるのに役立つ説明文やイラストも掲載されました。

ヴィラから見た広場の眺め。正面にはパラディオ様式のロッジがあり、その後ろには女子養育院の本部がありました。

ヴィラのほかに、コンタリーニ氏は女子養育院「オスペダーレ・デッレ・ヴェルジーニ」を設立しました。そこでは、少女たち(孤児や貧しい家庭の出身、あるいはおそらく農民の娘たち)が育てられ、教育を受けました。そこで彼女たちは、彼女たちの経済力では通常手の届かない優れた技術を学びました。レース作り、シルクやベルベットのドレスのデザインと縫製、上質なリネンやタペストリーへの刺繍、そして、芸術的スキルとしては、商品の保管と移動のための麻袋作りも学びました。また、読み書きや本の印刷(敷地内に印刷施設があります)も学び、より熟練した者たちは音楽の教育を受けました。コンタリーニ家はヴェネツィアで素晴らしい楽器のコレクションを購入し、夏の娯楽の場で女性たちが演奏できるように、ヴィラに持ち込みました。

もちろん、私たちの関心は楽器コレクションにあるのですが、相続人が後にそれを分散させたため、このコレクションの現存についてはよく分かっていません。最後の相続人の1人がコッレール家の1人と結婚したため、その一部はヴェネツィアのコッレール博物館に所蔵されていますが、これらのコンタリーニの楽器には、書物でその証とされるMCの文字の痕跡はありません。一部は、現在ウィーンにあるアウグスブルクのコレクションに収蔵されたという噂もありますが、確証はありません。

さらに興味深いのは、1600 年にヴェネツィアで作曲され、現在はヴェネツィアのマルチャーナ図書館にある、夏にここで上演された演劇作品やカンタータの膨大な楽譜(手稿譜)のコレクションです。

この素晴らしいコレクションには、クラウディオ・モンテヴェルディ、フランチェスコ・カヴァッリ、アレッサンドロ・ストラデッラらが書いた drammi per musica (ドラマ・ペル・ムジカ、歌詞と音楽のある演劇作品) が 112 曲、ベネデット・マルチェッロ (これもカンタータと drammi in musica)、ドメニコ・スカルラッティ、バルダッサーレ・ガルッピ、レオナルド・ヴィンチ、ダヴィデ・ペレス、ヨハン・アドルフ・ハッセらの作品が収められています。

「音楽室」は注目に値します。残念ながら、床が安全ではないため、修復資金が見つかるまでは訪問できません (泣)。建物の入り口で販売されている本の写真をいくつか見て、使い方の説明を受けることしかできませんでした。

右の図はまるで空想画のようですが、この図を見てから実際の建物の写真を見ると、オーケストラが演奏している様子を思い浮かべることができます。

この部屋は「逆さギターの部屋」とも呼ばれています。その形がバロックギターのボディを思い起こさせるからです。画像を使って、より詳しく説明しましょう。



ダニエラによる、建物の中央部分の断面図。「逆さギターの部屋」と、舞踏室または「鏡の部屋」

逆さギターの部屋では、社交界の階級も逆さまでした。1階では、王族や首相たちが、終わりのないディナーが出されるテーブルに座り、快適にパーティーを楽しんでいました。そして少数のゲストたちは、来年のより良い地位を望みながら、このパーティーに参加したことで得られる成功と関心を期待して、ストレスを紛らわせて、立って見守っていました。

その他のVIPたちは上の階にいて、立って飲み物を飲みながら、バルコニーからより地位の高い人たちを見守っていました。彼らの上には、サウンドホールのような八角形の開口部がある天井があり、その上から鳴るオーケストラの音が部屋に響き渡りました。

2階には、オーケストラピットの代わりに、オーケストラの演奏するバルコニーがあります。これは興味深いことです。パーティールームの上の部屋の床は空いていて、オーケストラはその部屋の周りのバルコニーに立って演奏しなければなりませんでした。そのため、普段から狭く限られたスペースで演奏できる小さな低音楽器が必要であり、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラが高く評価されたのでした。

オーケストラバルコニーからの音は、凹面の天井から八角形のサウンドホールを通してゲストがいる下の階に反響されました。そのため、誰も女性たちの演奏しているのを見ることができませんでした。

これらのコンサートの本来の目的は、演奏者が注目されることではなく、夕食をとるVIPたちを楽しませることでした。

凹面の天井には、長くて狭い「スリット」がいくつかあり、「逆さギター」の弦楽が、バルコニーと同じ高さのゲストたちの部屋に音を届けます。この部屋の天井には別の八角形のサウンドホールがあり、壁には鏡が飾られています。ゲストがリフレッシュを楽しみ、バルコニーに近づくことができるエレガントな部屋でした。

次回は、このヴィラのフレスコ画の一部と、この場所をよりよく理解するための他の写真も紹介します。そして、その後には、「Orologio del piacere(喜びの時間)」からの翻訳で、重要なゲストの訪問のための10日間のお祝いについての説明を紹介します。お楽しみに!

フレスコ画に描き込まれたダニエラさんによるイラスト。楽器やフレスコ画への愛に溢れています。

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