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息子一周忌。振り返り、今思うこと。

こんにちは、MAYUです。

今回のYouTubeでは、東京・原宿でのvlogをお届けしました!
まだ見ていない方はこちらから↓

動画を最後まで見てくださった方は分かると思いますが、この日、7月1日は、メキシコで産まれた私たちの息子・染(せん)の一周忌でもありました。

なので、今回は動画の裏話ではなく、この一年間を振り返って思うことなど、少し悲しくなってしまうような表現や具体的な表現も出てきてしまうかと思いますが、自分たちの感情の記録、整理のためにも赤裸々に綴っていこうと思います。

もし、同じような経験をしていて思い出してしまう、見るのが辛いという方がいましたら、ここでページを閉じていただければと思います。


彼との突然の別れ

昨年の7月1日、メキシコにて息子が天国へと旅立ちました。

その前日まで、私のお腹の中にいて、それは、ちょうど9か月になった日のことでした。

具体的に何が起きたかは、こちらのnoteを見てください。

それまで何事もなく、とても順調に来ていた妊婦生活。

あと1か月半で会えるね!と、少しずつ新生活への準備を始め、毎日モコモコとお腹の中で元気に動く彼にふたりで話しかけながら、とても幸せな日々を送っていました。

でも、その幸せは、突然目の前からいなくなってしまいました。

当時は、すべての出来事があっという間すぎて、頭が追い付いていけず、何が起こったのかを理解するのに時間がかかりました。昨日まで元気にお腹で動いていた子がいない。悪い夢を見ているような毎日でした。

「9か月に入れば、もしも早く生まれてきてしまったとしても98%の確率で助かる」という記事を後日ネットで見て、なぜ、私たちの子は、そのたった2%になってしまったのだろうか。守ることができなかった。と、本当に悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。

メキシコは、日本に比べて若い人が多く、街に出ると子どもがたくさんいます。当時は、それを見るのもつらく、まして妊婦さん、ベビーカーがあるのが分かると、目を背けてしまう。最初の頃は、涙を溜めながら街を歩いていました。

ちょうどその頃、家族が日本から送ってくれた赤ちゃんの洋服やグッズがメキシコに届きましたが、直視することができませんでした。こんなにしあわせなものを、まさか自分たちが見れなくなる日が来るなんて。

私自身が自分を責めている姿は誰も望んでいないというのは分かっていました。彼が亡くなったと病院で報告を受けた直後は出産ハイもあり、涙がボロボロ出て取り乱すというよりか、「私たちが悲しんでいては染も喜ばない。これからこの現実をどう受け止めて生きいくべきか」という思いが頭を巡っていました。

しかし、翌日火葬を終え、少し落ち着いて、ゆっくりする時間ができたとき、涙が止まらず、いろんなことをネットで調べては、あの日、散歩しなければよかったのかな、無理をしていたつもりはないけれど、もう少しゆっくりと過ごしていればよかったのかな、なぜ助けてあげられなかったのか、なんて、自分が一番嫌いな“考えても変わらない後悔”ばかりが頭の中を巡っていました。

そんなとき、支えになったのが、夫・KOJIさんの存在でした。

彼も同じようにつらいのに、私の心と体をとても労わってくれました。何か話したいことがあったら言ってねと声をかけてくれたり、産後の私の身体を考えて、毎日すべての家事をしてくれました。

私が緊急入院中、KOJIさんは病室の中に入れず、2日ほど離れて過ごしていたので、一緒にご飯を食べられる幸せ、同じ空間にいれることの幸せを噛みしめていました。

そして、日本からメキシコ・サンクリという僻地に何十時間、何日もかけて彼の弟が急遽駆けつけてくれて、一緒に過ごしてくれました。

KOJIさんと一緒に家事をやってくれたり、久々に外に出てみんなで美味しいごはんを食べたり、他愛もない話をして、とても良い気分転換になりました。

日本の家族も、温かいメッセージをくれました。

報告のnoteやYouTubeを見た友人、視聴者さんからも、たくさんのメッセージをいただきました。

メキシコの友人、サンクリ在住の日本人の方々も、いつも気にかけてくれました。

そのたくさんの温かさに触れることで、少しずつ痛みが和らぎ、この現実を受け入れ、今後自分たちはこの出来事とどう向き合っていくべきなのかを考えられるようになっていきました。


悲しみとの向き合い方

私たちは、海外出産vlogという動画をYouTubeにアップしていたこともあり、彼が亡くなったということを、見てくださっていた視聴者さんへ伝えるべきだと思い、noteや動画で報告をさせていただきました。

そのような発信をしたら、たくさんの友人、視聴者さんからメッセージをいただきました。こんな経験をした人にどんな言葉をかけていいか難しいなか、丁寧に言葉を紡いでくれて……

言葉はもちろんですが、そのやさしい気持ちにとても救われました。

また、同じような経験をされた方からのメッセージが、思っていた以上にたくさん届きました。

SNSを見ているとしあわせなことばかりに見える。だけれど、みんな実はいろいろな悲しみや悩みを抱えていて、それでも毎日の中にしあわせを見つけて、前を向こうと懸命に生きている。ということを改めて感じました。

ひとりの友人が、くれた言葉を紹介させてください。

2人の経験は、誰もができる経験ではない。悲痛の気持ちは計り知れないけれど、2人がこの経験から得て、みんなに発信してくれた言葉は、とてつもなく価値があるよ。

そんな素敵な言葉をくれて、とても心が軽くなったし、思い切って発信してよかったと思えました。

悲しいことってわざわざ発信しないものじゃないですか。でも、私たちは、ここで報告したことによって、たくさんのやさしさを受け取り、とても救われました。

できれば、悲しいことは経験したくない。でも、この経験をしたからこそ、感じたこと、分かることがある。それをみんなに伝えていくことが、同じような経験をした人の支えや、目の前にある当たり前のしあわせに気づけるきっかけになったり、彼の供養となり、いま私たちにできることなのだと思いました。


そして、今

今、このnoteを書いて感情を整理していると、やっぱり涙がこぼれてきます。でも、もうこれは悲しみの涙、後悔の涙ではなくなりました。

たくさんの素敵な言葉をいただき、支えられ、この一年間、KOJIさんとたくさん話して今出る涙は、彼をただただ想う涙に変わりました。

私たちは、これからもこの経験で感じたこと、彼のことを大切に話していくつもりです。

なので、友人各位にこの場を借りて。

私たちに会ったとき、この話に触れないようにしようなんて、気を遣わないでね!とはいえ、なんと切り出していいか、なんと声をかけていいか分からないという人はもちろんいると思うので、この話に触れてねという話ではなく、あくまでも“触れないようにしようと思わないでね”という意味です。

この経験をしてからは、当たり前の日常が何倍もしあわせに感じられるようになりました。ちょっとしたことでは動じないし、ほんとうに私たちは最強になったと感じています。

悲しみは比べるものではなくて、みんなそれぞれいろいろなものを抱えて生きていると思います。でもどんなことが起きても命がある限り、楽しく生きていきたい。すべて考え方次第で、今後の人生が楽しくなるか、楽しくなくなるかが決まるなら、楽しくできるように頑張りたい。

一時は、発信する気力もなくなっていましたが、せっかく初めて楽しんでいたYouTubeを、これをきっかけにやめるのは染も悲しむと思い、このようなことがあったけれど前を向いて生きているよ、という報告も含め、「KOJIMAYU MUSIC」「tokyo bevvies」というYouTubeチャンネルで、発信をし続けています。見てもらえたら、とてもうれしいです。


一周忌は、両親や友人が、染に素敵なお花をくれました。

彼は、日本とメキシコの国籍を持っていて、“Luis(ルイス)”というミドルネームがあり、メヒカーノでもあります。

メキシコは、死への考え方が日本とは異なり、亡くなったからと言って終わりではなく、次のステージへ行ったという考えを持っている国。

11月にある「死者の日」では、死者が主役となって家族や友人と故人を想いながら、盛大にパーティをするという文化があります。

そんな素敵な国で生まれたので、今後も、彼の命日や死者の日は、華やかに彼の祭壇を飾って過ごしたいと思います。

私たちのもとに来てくれて、たくさんのことを教えてくれた息子・染にしっかりと胸を張れるよう、これからも彼と共に強く生きていきます。

つたない文章をここまで読んでくださってありがとうございました。

これからもKOJIMAYUを、よろしくお願いいたします!

MAYU

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