心と体が病んでいた

※ちょっとメンタルブレイクの末の流血描写があります。苦手な人は読まない方がいいです。


前の投稿記事を見てみたら、随分と前の事だった。何をしていたかと言えば心を病み体を痛め付けていた。春のお菓子は買えていないが(前の記事参照)、仲の良かった同僚は友人となり、今度一緒に映画を観に行くことになっている。

簡単に言えば転職に失敗した事になるのだろう。

結局正社員募集には引っ掛かれず、時給や保険のしっかりしたアルバイトへと転職した。数年振りの接客だ。頑張るぞ、と意気込み始めたそれでここ何年か壊してないと思っていた心に密かに蓄積していたダメージが爆発したらしい。休み休みしか職場に出られなくなった後、どうしても出勤出来なくて休職になった。勤め始めてから2ヶ月程度。それが私がその職場で頑張れた限界だった。

周りは良い人ばかりだったけれど、お仕事の出来る人ばかりで私のコンプレックスは毎日刺激され、時折褒められる言葉は私の中を素通りし、注意やもう少し努力をしようなんて方向の励ましだけが必要以上に突き刺さった。家に帰ってからも仕事のメモをまとめ直しマニュアルを読み込み、趣味の時間は大幅に減った。

結果として自分を責めて、毎日のように体を自らの手で傷付け眠りは削られ、その事で失われた血や体力でもとより速くはない頭の回転がさらに遅くなり、ミスこそしなかったものの手際は一向に良くならなかった。それが許せず自分をまた痛め付け……完全なる負のループである。

一度限界だと自覚してしまえば再び自分を鼓舞し立ち上がり出勤する、なんてことは出来なくなってしまった。

そして休職中のある日、どうにも我慢のならなかった夜。私はあんまり良くない方に全力を尽くしてしまい、死にかけた。

本当のところはわからない。命までは危機が及ばなかった出血かもしれないが、耳鳴りや寒気で怖くなる程度には寝床を真っ赤に染めていた。翌朝発見した母には泣かれたし、父には怒られた。

その1ヶ月程後、前回よりはマシなもののまたベッドを真っ赤にして母に泣かれた。出掛ける際には散歩がてらの名目で父の監視がつくようになった。

そこからさらに1ヶ月半程過ぎて、転院した後の病院で行った採血検査の数値がものすごく悪くて入院した。医師、看護士が何故今まで私が自力で寝起きし、歩き回り、平気そうな顔で病院を受診したのかと血相を変え、車椅子で病棟まで運ばれ輸血と相成った。

正直に言えば私は未だにそこまでされる程調子が悪かったとは思っていなかったのだが、確かに示された数値は笑うしかないレベルで悪かった。看護士の友人には入院やむ無しとにべもなく言われた。

現在の私は、退屈すぎる入院生活をくぐり抜け半引きこもりの生活を送っている。入院の前後で体調の変化は良くわからないが、検査の数値は良くなった。やったね。

職場には申し訳ないが辞めさせてもらい、退院後は毎日本を読み、最近推しとなったキャラクターがいるドラマを食い入るように観ている。

という長々とした、またどうでも良い近況報告であった。当たり前だがオチはない。

一つ言えるとしたら、科捜研の女の橋口呂太はすこぶる可愛いということだけである。

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