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量子的な共感

テクノロジーの進化が私たちの生活を飛躍的に変化させています。進化の速度は一貫して増加しており、知らず知らずのうちに新しい情報やシステムへの適応を求められているようです。進化の波に飲まれてしまわないように、とテクノロジーとの付き合い方を考えている過程で、量子力学と仏教の共通点を見つけました。私自身、敬虔な仏教徒というわけではありませんが、興味深く感じたのでここに記します。

諸行無常と粒子と波動の二重性

まず仏教の「諸行無常」という教えと量子力学の「粒子と波動の二重性」の関係性について。諸行無常とは、すべての物事、物質や精神、私たち自身や私たちの体験まですべては絶えず変化し続けるという教えです。つまり、物事は一貫性や恒常性を持たず、常に流動的であることを示しています。

一方、物理学(特に量子力学)には、「物質は波としても粒子としても振る舞う」という基本概念があります。つまり、物質の本性は観察の状況や観察者の視点によって変わり得るということです。変化についての捉え方について共通点が見えました。

諸法無我と量子的存在

次に、仏教の「諸法無我」の教えと量子力学の「観測問題」について。「諸法無我」とは、我々の「我」という概念は固定的なものではなく、体験する諸事象や感情、思考、感覚などの多種多様な要素の組み合わせの結果であり、その組み合わせ自体も絶えず変化するという考え方です。

量子力学では「粒子の性質や状態は観測することで初めて定義される」という考えがあります。これは粒子の存在や性質は観察者に依存するという考え方であり、これも「諸法無我」とかなり近い概念だということがわかりました。

縁起と量子もつれ

最後に、仏教の「縁起」と量子力学の「量子もつれ」を見てみます。縁起とは、「全ての事物や現象はお互いに依存し合い、影響し合って生じている」という考え方で、孤立した存在や事象は存在しないとする仏教の基本的な観念です。

量子力学においても、「量子もつれ」は、2つ以上の粒子が相互に状態を関連づけ、その一方が変化すると他方もそれに応じて瞬時に変化するという現象を指します。これは、物理的な距離に関わらず、粒子間に深い結びつきが存在することを示しています。


テクノロジーとの共存

テクノロジーの進化という無常の海を、私たちは確固とした「我」ではなく、絶えず変化しながら進化する存在として航海しています。自分自身と、それらを取り巻く世界は密接に繋がっていて、一方が変われば他方も変わります。その視点は「テクノロジーと私たちの関係性の再定義」につながっています。テクノロジーの進化スピードはこれからも増し続け、やがて人間のちからでは観測できなくなるでしょう。しかし、そんな未来でもきっと平穏を見つけることはできるという考えに至りました。

いまの私たちに必要なのは、テクノロジーの進歩による変化を恐れるのではなく、「自分自身を再定義して他者との深いつながりを見つけること」なのかもしれません。その先にほんとうに穏やかな時間が待っているかどうかはわかりませんが、量子力学と仏教の共通点には未来への心の準備のキーとなる重要なヒントが隠れているような気がしています。

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