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さよなら、カジキ。

 冬の夜はながい。深夜から早朝までのアルバイトを終えて、あったかいとは名ばかりのぬるい缶コーヒーで気休めの暖を取る。競りがはじまる直前のざわついた魚市場のなかを歩いて帰るのが高校時代の日課だった。

 夜明け前のしんとした空気のなかでコマ送りの軽トラやフォークリフトが慌ただしく往来する。ちらちらと降りだした雪と地面にぶちまけられた魚のうろこがオレンジ色の電灯で鈍く光るのがうつくしく、徹夜明けのやけに冴えた目と脳にこびりついた。

 あたりはまだうす暗く、よそ見をしながら歩いていた僕は地面に転がっていた物体に気づかなかった。右足が固くて重たい感触をたしかにとらえ、前のめりにバランスをくずしてようやくその物体と目が合った。

 大きいカジキの頭部だった。

 長く鋭利に伸びた上あごは船の舵木(舵を操作するための堅い木)さえ突き通すことから、カジキドオシという名前が付けられたと言われている。そんな危ないものが道端に落ちているなんて予想ができるだろうか。市場で競りにかけられるカジキは他の魚を傷つけないように突起の先端を切り落としてあるが、それでも生身の人間には十分に危険すぎる鋭さだ。とっさに避けて事なきを得たが、ヘミングウェイの『老人と海』じゃあるまいし、まさかカジキと死闘するとは思ってもみなかったよ。

 ……と、酒の席であればこのオチでワッと笑いが起こる。多少の脚色はあるが、ほぼ実話の体験談でみんなのウケもいい。ところが、最近は笑い話で終わらなくなった。8歳になる娘がこのエピソードを心底嫌うのだ。

 過去の失敗談をネタにした自虐話を彼女は好まない。そのことはよく理解しているつもりだが、いつもうっかり忘れてその手の話をしてしまう。カジキの身には加齢によるもの忘れを改善するDHAが豊富に含まれている。僕はもっとカジキを食べたほうがいいのかもしれない。

 ある日、あまりに娘から怒られたものだから勢いに負けて、その話はもうしないよ、と約束を交わした。数あるエピソードのなかでもとくにお気に入りだったが、たいせつな娘に嫌われてまでする話ではない。さよなら、カジキ。鉄板の笑い話をひとつ失ったぼくの脳内にヘミングウェイが語りかける。──武器よさらば。


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