かつて子供だった大人たち

 静寂に気づいてハッとしたら、ベッドの脇に落ちている絵本に没頭しているだけだった。

 僕には7歳の娘がいます。子供というのは本当に不思議な存在で、好奇心旺盛で日々新しいことを見つけてきては臆することなく没頭し、夢中になり、トライ&エラーを繰り返してはいつの間にか成長している。自己と社会との関係性を無意識のうちに変化させ、この世と必死に向き合おうとする子供たちの行動には、今の不安定な世の中を生きる秘訣が隠されているような気がします。

 大人の日常は常に忙しさに追われ、子供のころはあれだけ得意だった「夢中になること」をすっかり忘れているようです。人間の脳は3歳までに80%、6歳までに90%、12歳までに100%完成するという説があり、その過程でその人それぞれの個性が形成されます。ひょっとすると子供の脳には常に新しいことを学んで、オリジナルの自分自身を常に最新にアップデートする能力があるのかもしれません。

 子供たちはよく絵を描きます。熱心に筆を走らせている姿を見ていると、幼少期の記憶の底から何かに夢中になった感覚がおぼろげによみがえってくるようです。どうすれば大人になっても子供のように熱中できるのだろう。それが理解できればずっと成長し続ける大人になれるのではないか。羨望の眼差しを隠しながら子供たちが熱中している遊びを観察していると、ある共通のプロセスが見えてきました。それが「好奇心」と「行動」です。

「森羅万象に多情多恨たれ」とは故・開高健さんの言葉ですが、とにかくあらゆることに興味を持つことは選択肢を増やすためにとても大切なことです。数多くの選択肢とその出会い頭のインパクト。それが平坦な人生にダイナミズムをもたらします。スポーツであったり、アートであったり、学問であったり、何であれ、まずは好奇心を起爆剤に「感動」との出会いの瞬間をつくりだすことが重要です。

 そして、すぐに挑戦すること。大人の分別を持てば持つほど、「失敗したら恥ずかしい」「頑張っても無駄になるかも」と脳内の口数が多くなります。興味を持ったことは恐れずにすぐにチャレンジすることこそが、子供には小さく見える大人ならではの大きな壁なのかもしれません。

 数日前、娘から誘われて一緒に絵を描きました。「限りなく『1(最低評価)』に近い『2』だね」と学生時代に美術教師から酷評され、絵を描くことをずっと避けてきましたが、娘とのお絵描きの時間には心躍るものがあり、時間を忘れて熱中しました。父娘で競い合うように描き続けた結果、そこにはたくさんの落書きの山と、心から夢中になった数時間が残りました。

 今回の経験は単なる個人の結果に過ぎません。しかし、個人と個人の延長線上には「家族」があり、その外側に「社会」が広がっています。娘の夢中が私に影響を与えたように、僕の夢中もいつかどこかで誰かの夢中につながっていくのかもしれない。そんな自分勝手な妄想と平和な思い込みを胸に今日も楽しく過ごそうと思います。

 僕も含めてかつては子供だった大人たちに、昨日よりもっと刺激的で夢中になれる今日が訪れますように。 

明日はもっと。
明後日は、もっともっと。
その次は、も……


終わり

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