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【イトナミコラム号外】第1回イトナミツアー諏訪編 その3最終回
諏訪ツアー2日目。3時まで飲んで最悪の状態だ。しかしミシャグジが待っている。このツアー最大の目玉である鎮大神社へ向かう。
◎鎮大神社のミシャグジと虫封じ
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複数の社が横並びとなっており習合した様子がうかがえる。
今回のお目当てのシャグジ社もこの中の1つだ。
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管理人さんに鍵を開けてもらう。
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5000年間も祀られていたわけではなく、この周辺の畑から発掘されて神社に持ち込まれて祀られたようだ。ただならぬ雰囲気にみんなから歓喜の声が上がる。
私たちとシャグジの縁が発生する。
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純粋な思いで作られたこの作者不明の形は5000年後の私たちにも大きな感動を与えた。
本物は存在も時間もこえてしまう。まさしくものづくりの本質を体感しているようだ。
自分のつくる酒は5000年前、5000年後の人にも伝わるだろうか。
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削られて平になっている様子がうかがえる。
触らせてもらえた(感動)。
石棒と私は縁起して、古代人の思いがインストールされる。
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石棒にこのような模様が描かれることは珍しい。
◯と▽の組み合わせで、これは玉抱き三叉紋と呼ばれる紋様らしい。
胎児と子宮を表現していて土器や土偶にはよく見られるようだ。
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渦巻きなのかヘビなのかへその緒なのかは不明だが、生命信仰の紋様であることは間違いない。意図的だが純粋なデザインにゾクゾクする。子供のいたずらのように悪意がない。
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◎ ✕ ▽ ♂ ♀
記号には意味がある。言葉より長く伝わるのかも。
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双体道祖神と同じでミシャグジ発生条件を満たした造形だ。
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ちょっと斜めで躍動感がある。勃起のリアルさを感じた。
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ちょうど社宮司の裏にあたる場所にかんの虫封じ祈願がある。
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ここまで読んでくれている勉強熱心なあなたには、これが何を表現しているかもう理解できるでしょう。
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造形にかなりのこだわりを感じる。しかし、まだ未完成で手つかずの部分が多々見られる。この地域の人は縄文時代から脈々と地が続く人たちなのだろうか。芸術的要素が強い。
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◎神長官 守矢史料館
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しかし…なんと清掃&燻蒸中とのことで入れず…。
そうだよね、剥製がいっぱいあるもんね。
かならずもう一度、諏訪に来ることを誓う。
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ミシャグジは妖精というか縁というか人間の認知できない次元を表現する定義や概念であり誰にも管理できない。
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私たちが作り上げた神は古墳や磐座、その手前にある神社が納める祖霊であることが多い。その神は狩猟採集から農耕国家として移行していく過程で習合していった部族の先祖たちであり、もともとは人間だ。ミシャグジはこの祖霊信仰以前に考えられていた自然信仰や生命信仰の合わさったものなのだろう。
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ということで、イトナミツアー諏訪編が終了。諏訪の人たちとも交流ができ、諏訪と酒を絡めた何らかの動きも起こりそうだ。ツアーメンバーもツワモノ揃い。各々なにか感じるものがあったはずだ。今でなくてもミシャグジはいつか条件を満たした時に降りてくる。
そして思うのが古代人の縁起儀礼とその表現技法。異なるものが同一になるときにミシャグジが現れてそれらを転生させる。ヘビ信仰との共通点を多く感じた。それはつまりミシャグジとは自然信仰、生命信仰の要素を備えた大陸から移動してきた狩猟採集時代、環太平洋に広がったモンゴロイドのもととなった人たちが信仰したものなのだろう。
一と一が多に還り、即、一として転生する。
その一はまた一と縁起し、多に還って即、一となる。
この繰り返しが自然生命のイトナミであり、この仕組みを内蔵したものを作り、時間を発生させることがことがものづくりの着地点だろう。
縄文人(狩猟採取民)と倭人・渡来人の習合、そして穀物国家日本への移行が進んでいく過程において失われた表現技法がこのあたりなのだろうか。
諏訪の御柱やミシャグジの思想からは曼荼羅や虚数のような四次元的というかマンデルブロのような広がりを感じた。
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現代人の僕らは、今まで培ってきた言語と科学という男性言語と、ミシャグジの様な野生(多)の母胎言語を頭の中で縁起させて何かを造ったり行動したりすることで未来を造ることができるのだろうか。
個とそれに対する絶対矛盾的な個のエントロピーの衝突→多への還元(縁・ミシャグジの発生)→新しい個の誕生→その個と絶対矛盾的な個のエントロピーの衝突→多への還元→‥‥‥‥‥
この縁起法則の無限ループが宇宙、地球自然界、僕ら人間の体内、脳内で起こっている。この仕組みを具現化することが目指すところだろう。私たちは人という生命を与えられ、脳も体も手もこの仕組みで生きているから出来るはず。
朝昼は仕事と勉強をして言葉と技術を使い、夜は家族と過ごして子どもと遊んで酒のんで寝て母胎に帰ろう。それで割といいんじゃないかな。
次回の諏訪はモリヤ資料館、尖石縄文考古館、中ッ原縄文公園、井戸尻考古館、釈迦堂遺跡に行こう。
そして諏訪に行き、西田幾多郎に会いたくなった。家族を失う哀しみから哲学(愛)を生んだ西田幾多郎にはミシャグジやイトナミのような多の世界が見えたはずだ。彼は言葉で多の世界をつくり上げた。
次回、イトナミツアー西田幾多郎編。
またよろしくお願いします。
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