【イトナミコラム号外】第1回イトナミツアー諏訪編 その3最終回
諏訪ツアー2日目。3時まで飲んで最悪の状態だ。しかしミシャグジが待っている。このツアー最大の目玉である鎮大神社へ向かう。
◎鎮大神社のミシャグジと虫封じ
◎神長官 守矢史料館
ということで、イトナミツアー諏訪編が終了。諏訪の人たちとも交流ができ、諏訪と酒を絡めた何らかの動きも起こりそうだ。ツアーメンバーもツワモノ揃い。各々なにか感じるものがあったはずだ。今でなくてもミシャグジはいつか条件を満たした時に降りてくる。
そして思うのが古代人の縁起儀礼とその表現技法。異なるものが同一になるときにミシャグジが現れてそれらを転生させる。ヘビ信仰との共通点を多く感じた。それはつまりミシャグジとは自然信仰、生命信仰の要素を備えた大陸から移動してきた狩猟採集時代、環太平洋に広がったモンゴロイドのもととなった人たちが信仰したものなのだろう。
一と一が多に還り、即、一として転生する。
その一はまた一と縁起し、多に還って即、一となる。
この繰り返しが自然生命のイトナミであり、この仕組みを内蔵したものを作り、時間を発生させることがことがものづくりの着地点だろう。
縄文人(狩猟採取民)と倭人・渡来人の習合、そして穀物国家日本への移行が進んでいく過程において失われた表現技法がこのあたりなのだろうか。
諏訪の御柱やミシャグジの思想からは曼荼羅や虚数のような四次元的というかマンデルブロのような広がりを感じた。
現代人の僕らは、今まで培ってきた言語と科学という男性言語と、ミシャグジの様な野生(多)の母胎言語を頭の中で縁起させて何かを造ったり行動したりすることで未来を造ることができるのだろうか。
個とそれに対する絶対矛盾的な個のエントロピーの衝突→多への還元(縁・ミシャグジの発生)→新しい個の誕生→その個と絶対矛盾的な個のエントロピーの衝突→多への還元→‥‥‥‥‥
この縁起法則の無限ループが宇宙、地球自然界、僕ら人間の体内、脳内で起こっている。この仕組みを具現化することが目指すところだろう。私たちは人という生命を与えられ、脳も体も手もこの仕組みで生きているから出来るはず。
朝昼は仕事と勉強をして言葉と技術を使い、夜は家族と過ごして子どもと遊んで酒のんで寝て母胎に帰ろう。それで割といいんじゃないかな。
次回の諏訪はモリヤ資料館、尖石縄文考古館、中ッ原縄文公園、井戸尻考古館、釈迦堂遺跡に行こう。
そして諏訪に行き、西田幾多郎に会いたくなった。家族を失う哀しみから哲学(愛)を生んだ西田幾多郎にはミシャグジやイトナミのような多の世界が見えたはずだ。彼は言葉で多の世界をつくり上げた。
次回、イトナミツアー西田幾多郎編。
またよろしくお願いします。
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