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R4BY 無窮天穏 水母(くらげ)

◎無窮天穏 水母(くらげ)水もと純米吟醸 佐香錦60%&五百万石60%

R4BY無窮天穏 水母(くらげ)が発売です。コンセプトは天穏HPのR3BY水母よりご確認いただき、ここでは今季の製法をお伝えします。
今季の水母は、水もと×山陰吟醸の佐香錦60%2本、五百万石60%1本の合併で、そやし水の製法を新たにして開発して仕込みました。

今回のそやし水は、乳酸以外の有機酸を付与し、そやし水自体のクオリティを上げて、より清らかで浸透性のある酒を目指しました。
詳しい製法はまだお伝えすることが出来ませんが、効果と安全性が高く、良い成果がでていると思います。


そやし水

従来のそやし水の有機酸組成…乳酸(強)、クエン酸、酢酸
今回のそやし水の有機酸組成…乳酸(中)、リンゴ酸、コハク酸、クエン酸、酢酸

このように今回の製法では、そやし水にリンゴ酸やコハク酸が付与されて、爽やかで美味しいそやし水になりました。
乳酸の比率が下がることで当たりの強い酸が減り、リンゴ酸が爽やかな酸を、コハク酸が旨味や渋みのある酸を付与しています。

また液体での乳酸発酵したお酒(水もと・ナチュールワイン・ランビックなど)は浸透圧やphの違いからか、非常に体への浸透性が高く、冷酒や燗酒でもその特性が失われないために、どの状態でも飲み感がよくなっています

手術や水分補給に使われる生理食塩水と同じように、人間の体と浸透圧が近いことが飲み心地の良さに繋がるのではないかと予測されていますが、まだその根拠はでていません。このように人の口の中の粘膜と酒との浸透圧を親しくしていくことは今後の大きな課題なのかなと感じています。

私が掲げている御神酒造りには「異なるものを同一にして時間と未来を創造する」という目的があります(自他や矛盾を同一にすることを縁起や直会と呼び、それに御神酒が利用された)。

味や香りのような嗜好的な要素を共通認識として捉え、同一にすることは難しいことです。しかし酒と人間の浸透圧を同一にしていくことは味や香りといった嗜好を超えて、人間という大きな属性に作用します。これは多くの人を同一にできる広い手段なので、打率が高く、縁起の連鎖(リピートやファン獲得)が起きる可能性が高いものとなります。

このように水母は浸透圧の高さで自他の境界線をなくし、同一化していく過程を体感できる酒です。かなりいい酒ができました。

どんな温度でも浸透性を体感できるようになっていますので、どこがベストということなく色々と試してみていただきたいです。飲み感を重視したいのでテイスティングはありません。

水母のような酒が、日本酒をサケに戻し、私たちを自然生命の群れに戻してくれるような気がします。よろしくお願いいたします。


(※この先、水母を飲んでから説明を読んでいただけると幸いです。)


日本酒には言葉が多いですね。日本酒、銘柄、酒米、吟醸、生もと、水もと、速醸、燗酒、冷酒、新酒、熟成、夏酒、ひやおろし、嗜好、伝統など、日本酒業界は言葉を売っていると言えるほどに言葉に頼ってきました。

歴史と伝統ある酒蔵が製品にこれらの日本酒の言葉を設定さえしてしまえば、消費者はその文字情報を信じて、中身がどうであるかを考える必要がなくなっていく。どんどん言葉と酒の乖離が進み、言葉と中身に意味をもたない酒が増えて、酒から伝統文化や民族性が失われたのではないだろうか。

私は20代前半から酒屋で働き、25歳からは日本酒造りという現実の清酒製造技術を通して、日本酒の言葉の意味を吟味してきました。そうしてその意味や真意を理解した頃には、私の理想とする酒はこれらのどの言葉の中にも属することができないことを感じました。

それは日本酒の言葉の数々と、その内容が必ずしも一致しないことを酒造りの中で体感したからです。

考えてみると、日本酒の定義も吟醸も生酛も冷酒も燗酒も自然派も、全ては酒が造られた後に、その酒を判断するために造られた言葉であって、実際の酒造りの行動においては不必要な言葉であったからです。

私はただ目の前の原料を良いと思う方法で酒に変えれば良いだけで、そこには日本酒だから天穏だから会社だから吟醸だから生酛だから燗酒で飲めるように冷酒で飲めるようになど、属性を先行させて考える必要はなかったのです。

そうして日本酒の言葉から興味が離れ、言葉にできない、再現できない不確定な要素に強く惹かれるようになりました。数値判断の優先順位を下げて五感優先の酒造りを進めると、不思議と不確定要素の正体を暴いていく事ができました。そして「言葉に出来ない不確定要素は、酒造りの微細な行動の積み重ねによって決定される」と言うことに気が付きました。

それが祈りという抽象的な言葉の正体であることも確信して、御神酒(山陰吟醸)造りと、生もと系の酵母無添加や三日麹という確かな技術と不確定な要素を組み込んだ酒造りを進めました。

そうしてできた酒、無窮天穏シリーズは清らかさと不確定要素を含んだ酒となり、様々な言葉を含みながらも、その言葉のどれか1つでもない矛盾と同一を含んだ酒として、それなりの成果と広がりを造れたように感じています。

言葉を必要としない酒、どの言葉にも属さず、言葉と言葉の間をすり抜け、自由に出入りする境界線のない酒。触れるものに合わせて特性を即反転させて絶え間なく変化して流れていく酒。

そんな酒を想像しながら独学をして、現実のものにしようと酒造りをしていくうちに、環境に合わせて矛盾と同一を繰り返しながら絶え間なく変化して流れていくものを「自然生命」と呼ぶことを知ります。

同時にその自然生命の仕組みは動物、植物はもちろん、人間の体の細胞や脳の仕組み、神経細胞や栄養素の伝達方法、ひいては発酵のメカニズムとも同じものであり、その自然生命の仕組みこそが全ての生命に共通する座標であることを知りました。

西田幾多郎 絶対矛盾的自己同一

自然生命を表現するということは、万物に共通する点を形にすることであり、矛盾と同一を繰り返しながら絶え間なく流れていく時間を生み出すことであることを知ります。私はこのように説明できるようになるまでは、これを抽象的にイトナミと呼んでいました。

私たちが自然と呼んでいるものは、矛盾と同一を繰り返しながら時間をつくるもの。不自然と呼んでいるものは、矛盾と同一を内包せずに、時間が留まっているものではないだろうか。

方丈記

私たちは触覚、嗅覚、味覚、視覚、聴覚という五感で自然生命を感知し、脳内でその風景を想像して自己の記憶とmixすることができ、それを心地よい、美味しい、美しい、嬉しい、共感できる、感動すると言っているのではないだろうか。

そうして私は酒造りという現実において、自然生命を表現する方法を見つけました。人間醸造と自然醸造という矛盾を互いに贈与させることで縁起させ、矛盾を同一にする縁起的醸造法を実践することで、自然生命という誰にとっても共通する座標を酒にすることができると確信したのです。

御神酒造り(人間醸造)×水もと(自然醸造)で作られたこの水母や、その発展形が私の目指す酒に近いものになっていくでしょう。

人間醸造と自然醸造は互いに矛盾関係であり、互いが互いを抑制し合い、発酵という縁起の過程で同一化していきます。これが自然生命の法則に近しいものであるはずです。

もし仮にこの文章が伝わらなくても、水母を飲んだ方には伝わるはず。この酒は自然生命の法則を宿しているのだから、自然生命の流れの一部であるあなたとは必ず共通しているものがある。

飲み方は冷酒でも燗酒でもロックでも大丈夫です。この酒はどう飲むかということ以前に、自然生命の仕組みをすでに宿しているのだから、どう飲んでもそれは自分と酒の境界線をなくし、自分も酒も共通した自然生命の群れの一部であると感じられるということです。

造り手としては言葉や説明なしに酒だけで全て伝わるものを造りたいものです。

しかし酒という行動と言葉の矛盾と、その同一化の連鎖を体験し続けることが自然であり、それが時間(未来)を生みだす術であることが分かったので、造ったお酒と純粋な言葉が両立することが好ましいのではないでしょうか。

この酒と言葉のバランスは難しいものです。しかし人間は行動から言葉を生み出しているため、酒を飲んでから言葉を聞くことが大事なのかなと思います。

日本酒、吟醸、生酛と言った分類の言葉を先行させるのではなく、酒を飲んでいただいた上で、情緒と行動を記した言葉を補足してお伝えしていきたいです。


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