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冬の匂い

 
 ブログ用に書いていた文章が溜まってきたので、3日分くらいまとめて載せます。気が向いた時にメモ帳に書くんだけど、なんかそのまま放置してしまう。読み返して手直しするのもめんどくなので、誤字とかたくさんあると思う。小説でも推敲の作業が何よりも大変で腰が重かった。小説を完成させたのは一本だけだけど、実はその後に二つくらい下書きは書いている。でもまとめるのがめんどうでそのまま放置状態。いつか完成させる日が来るのか否か。それとは別に新しく書きたいとも思うけど、自分の中で何かが溜まり切るまでは書けないだろうと思う。その時が来るのは数年後か十数年後か数十年後か、、。

2023/12/02

 あと一ヶ月以内に今年が終わる。わーお。早かった、という感じではなく、恐ろしいほど色んなことがあり環境や心境が変わりまくった濃い一年だった。本当に体感5年分くらいの濃度。一人暮らしをしていた五反田のボロ屋から引っ越し、今は町田とちょっといいマンションでルームシェア。3年ほどの配信者もどき生活を強制終了し、元職場に復帰。バンドなんて10年前に諦めて辞めてしまっていたのに、今やギターボーカルとドラムでやっている。このまま死を待つだけだってくらい悪かった体調も、運動や食生活の改善によってこのところはかなりマシになった。まだなんとなく本調子じゃないところもあるけれど、長年の不摂生によるものや歳のせいもあると思うので、向き合って改善していくしかない。昔のように何もしなくても超健康体調万全っていうのはないものだと思ってる。だから口にするものや運動や睡眠やストレスには気を付けようと思う。その捌け口の一つがこれになりつつある。

 昨日はお墓参りに行って来た。ザ世界大戦ズというバンドのドラムをやっていた佐々木(通称チャー)の三回忌。今は僕はその時のボーカルとベースと破滅ENGINEというバンドをやっていて、チャーは元々知り合いで弟みたいな存在だった奴。三回忌というのは亡くなってから3年後じゃなくて2年後のことを言うってこと今回で初めて知った。こんな一般常識もわからんやつに墓参りなんてさせるんじゃないよ、と思いつつも最近はチャーに会いにいくことが趣味になりつつある。わりと近所に霊園があって、チャリで行ける距離なのだ。

 霊園に着いて、いつものように線香を1つ買い、ライターとタオルと箒などを借りお墓へ。命日だったけれどその日は誰も来た形跡がなく、水気がなくなり萎れた花束が2つ、ビールが1缶供えられていた。自分以外にも来てる人が居ることに少し安堵しつつ、墓石に水をかけタオルで拭きとり、足元の枯れ葉などを箒で集め、花を新しいものに差し替え、線香に火をつけ、数珠を両手にしばらく目を瞑り合掌した。前に来た時に置いていったスティックが雨風でボロボロになっていたので、新しいものを取り出して供えつつ、古いスティックで太ももなどを叩き練習。これも恒例になりつつある。側から見たら完全に不審者だけど、霊園に人なんてほとんどいないので、誰にも見られることはない。1時間くらいして線香が半分ほどになり、辺りも暗くなって閉園の時間も迫ってきたので、「また来るよ」とその場を後にした。

 なんか堅苦しくて小説書いてるみたいだ。あの時の感覚を思い出した。人様に読んでもらう文章は言い回しなどに気を使う。読み返して誤字脱字チェックしなきゃいけないしめんどくさい。でもたぶん個人的な日記を書くよりもずっと練習になるんだろう。この文章を書くだけで何度か言葉をググったりしてる。なんとなくこういう習慣を持っておくのは大事だと思う。そろそろ生きた証みたいなものを残していかないとな。あと倍生きたら70ですからね。人生折り返したようなものだ。全然まだまだ何もやれてないのにね。満足なんて死ぬまでできないんだろうなと思う。

 墓参りを終え、寒空の下自転車を走らせていると、なんとも言い難い清々しさ、高揚感みたいなものに包まれ始めた。そしたらなんとなくギターが欲しくなってきて、そのまま町田まで行くことにした。町田に楽器屋があることは知っていたけど、実際に行くのは初めてで、久しぶりの楽器屋だった。スマホで調べると結構たくさんのお店が出てきて、どこから行こうか迷いつつも、個人経営店がなくとなく安そうだなと思いそこに行ってみた。雑居ビルの4階。エレベーターは無し。なんだかとっても入りづらい出立ち。恐る恐る足音を立てないように階段を登り、ポスターがたくさん貼ってある通路を抜け、いざドアを開けると、たくさんのギターが飾られていた。マスクをした店員さんに「いらっしゃいませ」と言われ、「こんにちは」と返す。なんとなく3.4万のエレアコが欲しいと思っていたけれど、その価格では全然無理で、シンプルなアコギにすることに。入ってすぐのところに置いてあった物が15000円くらいで、1番安く見た目もいい感じだった。しかしここだけで決めるのもなんだなと思い、他の店も見てみることに。店を出てしばらく歩き、辿り着いたのは大手のチェーン店。タワーレコードの向かいにある大きな店。入ってみて驚いたのはその値段の高さだった。なんというか、昔より全体的な値段が跳ね上がっているように感じた。楽器というのはやはり安い買い物ではない。しばらく音楽から離れていて慣れていないせいもあるだろうし、色んなものの価格が高騰しているのもあるだろう。でもなんというか「この店では何も買えない」という感じの雰囲気しかなかった。そして踵を返し、個人経営の店に戻り、1番安いアコギを弾かせてもらうことにした。

 弾いてみるととてもいい音で、ギター自体の鳴りが良く、大きな音が出た。弦も押さえやすく、見た目も綺麗でカッコいい。1発音を鳴らしただけで「あ、もうこれでいいじゃん」って感じだった。エレアコではないけれど想定していたよりも安い値段だったし、他を探しても絶対にこれ以上はないだろうという確信めいたものがあったので、購入することに。どうやらわりと謎のメーカーらしくフランスのものだのか。調べてもあまり情報が出ないらしい。その後店員さんとちょこっと話をして、この町でもう20年1人でお店をやっているらしく、とても気さくでいい人で、お年は60近くなのにめちゃくちゃ若々しかった。「また来ます」と約束し、お店を出るとクリスマス間近なせいか街がキラキラしていて、冬の匂いがして、いい買い物をした高揚感と墓参り後の清々しさが相まって、なんとも言えない幸福感があった。音楽中心の生活になっていることに少なからず不安を抱いていたけれど、それでもいいような気がした。なんとなく音楽を頑張っていけそうな、これからどんどん道が見えてくるような、そんな感覚。新しいギターでたくさん曲を作って歌おうと思う。とりあえずしばらくは抱きしめて寝よう。そう思えるくらいいいギター。今日はあいつの三回忌とギターを買った記念日。特別な日だ。

 日記なのか小説なのか、境界線が曖昧な文章。でも手の動くままに書いていて、何も考えていない感じが気持ちいい。たまに歩いていて身体が勝手に動いている気がする時があるけど、それに似ている。所謂ゾーンというやつなのだろうか。ギターを弾くのとも、歌うのとも、ドラムを叩くのとも、誰かの喋るのとも違う感覚。書くというのは自己との対話。でも誰かに伝えたいから曲げて整えたりする。また小説を生きているうちに書けたらなと思う。それまでいろんな経験をして、心の引き出しのようなものにネタを入れておく。自分でも忘れてしまったようなことも書いているうちに思い出したりする。とにかく今は日々やることをやる。そしてこうやって文章にして整理する。時がしたら物語にする。いつかは紙媒体で出せたらなーなんて思いつつも、文章を書くだけの喜びを噛み締める。

 読んでくれた人はありがとう。今日は撮影をお手伝いした人たちの映画祭に行ってきます。後夜祭とスタッフ打ち上げなんかもあり、ちょっと今日明日はバタバタしそう。バンドマンとはまた違った界隈の人たち。でも何か集団でものを作るという意味では同じで、共感できることがたくさんある。今度個展を見に行くかもしれなくて、その人たちと話すのも楽しみ。やりたいことをやっている人たちは素敵だと。自分もそうなれたらいいなと思う。

 それでは今日はこの辺で。また書きます。

 
 
 こんな文章をスマホのメモに残していた。アップせずに終わりそうだったけど、なんとなくもったないので、ここにさらに書き足して残しておこうと思う。

 昨日は夏に撮影を手伝ったyoutuberたちの映画祭がありお台場に行ってきた。映画の撮影なんて初めてだったし、とても好きな人たちに携われて、なんともまぁ夢のような時間を過ごせた。youtuberで好きな人なんてその人たちしかいないし、普段はあんまりyoutubeは見ない。なんとなく3日に1度くらいなんかあるかな? って感じでザッと新着動画やらおすすめやらのサムネを見て、気になったものがあればクリックする程度。そんな中その人たちのチャンネル登録者数は3万弱。しかしチケット代5000円にも関わらずお台場の映画館に800人近い人が押し寄せ、その後のアフターイベントにも100人以上が詰めかけていた。なんとも不思議な気がする。登録者数はあまり関係なく、コアなファンが1000人もいればそれだけでやっていける世界。

 あーなんだか胸がいっぱいだ。いっぱい過ぎて動けない。少しずつ浸って、少しずつ想いを浄化していきたい。もう言葉なんていらない。酒飲んでベラベラと俗世間丸出しの話なんて聞きたくない。映画の後の後夜祭ウーロン茶一杯でひたすら粘っていた。隣にいたやたら仕切りたがりで声の大きな別の班のスタッフは、カルピスサワーを無限におかわりしていた。イベント中もずーっとベラベラと楽しそうに大きな声で話をしてこちらの鼓膜に刺激をたくさんくれた。側から見たら近くにいる僕は同類なのだろうと思う。そこと明確な一線みたいなものが今の僕にはない。その線を引くペンをこれから探しに行こう。やはり裏方では物足りない。何もかもが満たされない。ファンとか推しとか、そういうのじゃない。一緒に何かをしたいというだけ。悔しさをストレートにぶつけて仕舞えばただ喧嘩になるだけ。ロックバンドをやっているならそこにぶつけろ。そして誰にも書けない自分だけの歌を歌え。その才能かどうかはわからないが能力だけはあるのだから、それを武器にしろ。剣をペンに代えて。あーあーあー。言葉だけならなんとでも言えるさ。動いていかないと。とにかく今は胸がいっぱいで動けない。水蒸気のように少しずつ浮かんでいってくれ。願わくば同士と何か話したい。それは大きな声なんかじゃなく、たくさんの人たちもいらない。本当に分かり合える人が1人いればそれでいいのさ。そういえば今日は夢にチャーが出てきたな。夢の中でもやつは死んでしまっていた。せっかくならちょっとくらい話したかったな。なーんてことを思いつつも、僕はまだ何一つ諦めないで生きよう。

 それでは。


2023/12/05

 チバユウスケが亡くなってしまった。ミッシェルは若い時には響かなくて、30超えてからどハマりして一時期ずっと聴いてた。あの独特のしゃがれ声。僕はああいう激しい演奏が似合うような声が出ないので、とても羨ましく思う。声にオーバードライブがかかってる感じ。ツイッターではみんな悲しい悲しいと嘆いている。自分も何か呟こうと思ったけど、なんだか野暮なような気がしてやめておいた。音楽、しかもロックだけをやって死んでいった。最近ではスラムダンクの映画の主題歌も務めていたらしい。めちゃめちゃ最前線でやっていた。なんでカッコいい生き様なんだろうか。

 そんなチバさんとは似ても似つかないようなダサい生活。いや、きっと彼にもダサい部分はあったと思う。しかしそんなことを微塵も感じさせないようなスタイル。カッコいい。誰しもが憧れるようなロックスター。僕は今音楽中心の生活を送るのが怖くて怯えている。しかし、現実的にそのような流れになってしまっている。音楽中心にしなければバンドを2つもやっていられない。他のことに単純にかけられる時間が足りない。だから他のやりたいことなどはバンドの中でやってしまうしかないと思う。全て繋げていくしかない。

 ブログをなんとなく書き始めて、最近知り合った方と長文のやり取りをしていて、相変わらず誰にも見せない日記も書いていて、小説を書いていた時並に執筆をしている。これが何に繋がるのかはわからない。ただ書いていないとやってられないだけなのかもしれない。写真を撮ったりするのが得意じゃないから、その代わりなのかもしれない。

 いつかまた小説でも書きたい。需要があればエッセイなんかでもいい。ただ何者でもない自分。いつかは何者かになれるのではないか? なんて思ったりするけど、何を成し遂げようとも自分は自分のままな気もする。「いつか時が来たら」なんてよく思うけど、誰かが亡くなったりすると人生が有限だということを痛感する。

 腹を括るしかないな。どーせやれることは限られているし。あれもこれも全部全部なんてやってたらすべてが中途半端なまま終わってしまう。今僕は10年前に戻ってきたような感覚だ。状況も心境も、なんとなく同じ。ただこれまでにかなり色んなことがあった。音楽以外のあらゆる経験をして、また同じ場所に戻ってきた。今まで居た人が居なくなってしまったり、まだ同じように同じ場所で続けていたり、遥か遠くへ行ってしまったり。結局は終わる物語。何をしてもしなくても同じ。理想を追おうが、堕落しようが、破滅しようが同じこと。

 カッコつけてもカッコつけてもカッコつかないのなら、無様なままでいい。何もしないこと、何も考えないことが、僕にとっては一番の罪な気がする。考えているだけでもダメ。言葉なんて誰でもいくらでも吐ける。こんな不可逆な道で、何か一つに絞ることは恐ろしくて堪らない。でも今までとは違う。遠回りをしてきたからこそ、道が一つではないことを知っている。

 死ぬ時に誰か1人でも悲しんでくれたら嬉しい。涙なんか流してくれたら言うことない。多ければ多いほどいいってわけでもない。やっぱり深いところで繋がっていたいよな。色んな誘惑や紛い物がたくさんあって、それを見極めていかなきゃならない。流されるのは簡単で、芯みたいなものを持つのは難しい。諸行無常で、すべては変わり続けていく。チバさんみたいに真っ直ぐ生きたかったよ。それが1番カッコいい。でもそうじゃない人生もある。それも決して悪いもんじゃない。泥水啜った敗北者にしかわからないこと、できないことがある。そんなことがやれたらいい。怖いけど、限りがあるからこそやらなくちゃいけない。

 人が亡くなると、様々なことを思う。何かやれるのは生きているうちだけ。バカにされるのも笑われるのも生きているうちだけ。死んじゃった人を貶すの人はあまりいない。人生はなかなか苦しい。だけどそれを味わえているのは生きているという証みたいなもの。やれるだけやってみますかね、生きてるうちに。遠回りしたからこそできることがあるはず。


 こんな文章を書いていた。合計6250文字とか。相変わらず量だけはたくさん書ける。文章を仕事にしたいとかはあまり思わない。気ままに自由に書くのが好きだから。仕事じゃなかろうとほぼ毎日書くし、誰にも見てもらえなくても死ぬまで書くだろう。誰かの為に呼吸をする人なんていない。呼吸でお金を稼ぐなんておかしなことだ。

 人生ってなんだろう? とか、本当にやるべきこととは? とか、この歳になっても色々考えたりする。バカみたいだけど、思春期のようなことを日々考える。立派な大人は考えないだろう。だってそんな暇ないし、子供がいるような年齢だから、時間があれば子供と遊んで家族サービスなんかをするはずだ。どうしてこうなってしまったんだろうか。でもこんな感じが自分らしくて悪くないとも思う。一生もがき続けるのだろう。でもそれは意外とみんな同じなのかもしれない。生きている人で頑張ってない人はいないのではないか。生きてるってだけで本当に奇跡なんじゃないか。どーせ最後はみんな死んでしまう。それだけは確かなのに、みんなしょうもないことで悩んだり、どうでもいいようなことに必死になったり。それが人間なんだ。みんなきっと情けない。それでも無様でもいいから生きていたい。そんな気持ちでいる。

 それでは、気が向いたらまた書きます。


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