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留学生活編「私は、朝早朝5時30分から、寮の洗濯機で洗濯物を溜まっている水の中から1枚ずつ取り出し、やっとの思いで全部絞り終わり部屋へ重い洗濯物を抱えて戻って行きました。」 98番

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2010年 11月29日 月曜日
 3時50分。中国語の勉強をしながら、メールを1時間30分発信。そして、5時30分には、断水が終了したのを確認して、誰も歩いていない廊下を歩いて洗濯場へいつものように行き、いつものように洗濯カード入れて、洗濯物を洗濯機に入れて洗剤を入れて、洗濯機が回るのを確認して、部屋に戻り、1時間中国語を勉強して、6時30分に洗濯終了しているのを取りに行くと、脱水機能が壊れていて、水が洗濯機の中に溜まって、其の中に洗濯物がどっぷりと浸かっていました。

私は、仕方がないので、手で洗濯機の中で気持ち良さそうに浸かっている洗濯物たちを、無理やり1枚1枚引き離しながら取り出し、1枚ずつ手絞りで絞っていきましたが、シャツはいいのですが、ジーンズを取り出し絞ろうとした時とうとう我慢できなかったのか、私の右の手の指の1本の皮が捲れて痛々しく赤いのがむき出しで、触るとチカーと来て痛くそれを今度は私が我慢しながら、残る洗濯物を溜まっている水の中から1枚ずつ取り出し、やっとの思いで全部絞り終わり部屋へ重い洗濯物を抱えて戻って行きました。

部屋の中に干すには干したのですが、乾くのに時間掛かるだろうと思ったのですが、以外にも部屋が狭く暖房も入っていたので、結構、速く乾いたのを覚えています。

しかし、手の指の向けたのが痛く日本から持参のバンドエイドを1枚大きいのを貼り、どうにか痛みを止めていました。

今日の授業に久し振りに授業を良く欠席する日本人の福田さんが来てくれたので、私は、私の後ろの席に座っている福田さんに、休んでいたので、今日の宿題を教えながら、1人ずつ、先生に指名され答えなければいけないところを此処だよと教え、それを聞いて福田さんが聞こえるか聞こえないかの声で答えていました。

私は思いました。やはり、授業は休まない方が良いと。他山の石です。
第1と第2時間目の授業終了が、私と福田さんは、第3時間目の授業まで20分ぐらい時間が有ったので、福田さんが、コーヒーバーに行こうと言われたので、どこにあるのか私は解らなかったのですが、ただ一緒に福田さんの横を歩きながら、初級2班のある教学楼の1階から外へ出て、左の方へ歩いて行き、大学キャンパスの中を通り過ぎ、東の方へ歩き大学内本屋のある左隣の店の所を左に曲がり、携帯電話店やコピー店や文具雑貨店等いろんな店の並ぶ長屋風の建物の中の真ん中辺りにある3畳ほどの広さのコーヒーバーで、1人の中国人の20歳代の小柄な女性にブラックコーヒーを注文しようと、考えてブラックと言う中国語が出ない為、中国語で私達は、「没有糖,没有牛奶,没有全」メイヨウターン、メイヨウニュナイ、メイヨウチュエン日本語で、砂糖なし、ミルクなし、全てなし、と言ってどうにかブラックコーヒーが通じて、出来上がりましたが、福田さんが、注文したアイスコーヒー牛乳に似たもので名前を忘れましたが、薄い茶色の甘い飲み物だったのですが、これ入れてあれ入れてと福田さんは、プラスチックスのケースに入ったトッピングを指差しながら注文したのに、1つだけ入れて欲しいものが入ってなくて、ちょっと不機嫌そうでした。

私達は、各々手に注文したものを持って教室へ戻ると、もう次の授業の除先生(中国語で徐老师シューラオシーと言います。)が来てみえました。
授業終了後、私と福田さんは、一緒に昼食を今までに私が行った事のない遼寧師範大学の中国人学生が食べる大きな学生食堂へ福田さんが、案内してくれると言うので、初級2班のある教学楼(中国語で、教学楼ジャオシュエロウと言います。)を出て、左へ曲がり、左にある中国の学生の教室のある棟を見ながら通り過ぎ、大学東にある割と広い急な登り坂を左へ曲がり、ちょっと上がって行くと左側に体育館のような大きな2階建ての建物が有り、重いドアーに昔、日本で自家用自動車を購入すると新車にカバーをかけて外へ置いておきました。

其の時のカバーに使ってあるやや丈夫な布が中へ入ると、垂れ下がっていたような気がします。

1階も2階も中国人学生食堂になっていて、2階へはエスカレターが付いていました。2階へ2人で行くと、もう多くの中国人学生が居て、わいわいがやがや、至る所から聞こえてきましたが、私達は、5つ位ある中華専門料理店の各々の当店自慢料理の写真や現物見本を見ながら、この店あの店の前を何度となく行き過ぎ、どれにしょうかと一生の決断でもするかのごとく迷い迷い1つの端の中華料理店に決め、暖かい鍋物を2人とも注文して、福田さんが其の店で出来るのを待っている間、私は、席を確保する為、広い日本の中学校位の広さの食堂の空席を、双眼鏡を持参で探すと良かったと思いながら、やっとの事で見つけました。

誰か学生が今の今までこのテーブルに座っていたであろうと確実に思われる証拠のテーブルの上に汁物を食べたであろう零した汁が多く世界地図を描いていました。

そこへ2人分の中華料理の鍋物を福田さんが、手に重そうに抱えて歩いていたので、途中まで迎えに行き、自分の分を貰い、持って来て席に2人共座り食べながら、時々、各々鍋物を貰いながら、まあまあかなとお互い批評しながら、談笑していたら、この食堂の掃除の係りの小柄なおじさんが来て食べ終わった茶碗を片付けに着たかのようでしたので、ふと、腕時計を見るともう2時過ぎていたようでした。

周りを見るとあんなに居た大勢の中国人学生達がほんの数人いるかいないかと言うのに気づいて、私達は、顔を見合わせ出ようかと暗黙の内に了解して、慌てず焦らず急いでこの場を後にしました。


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