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雑念。

昨日はWSでワチャワチャ。
今はmomiの準備をしながら、2/24に控えたイベントに向けて準備中です。確定申告からは逃げ出したいです。

こんにちは。
テラサカヒロシです。

糀屋sawviの切り盛りは、優秀なスタッフさん達がやってくれています。
何処にもない糀の斬新で素敵なレシピを開発してくれたり、ChatGPTを使って記事や表現のアウトラインを整えたり。マーケティングにも事欠きません。

すごい。(AI以下の語彙力)


さて、そんな感じで僕は自分時間を気ままに謳歌しておりますれば、あれこれとビジネスに思いを馳せては足りない頭を日々フル回転しています。

疲れ倒したら、サボってスマホタイム。
そんな折にスタッフさんにマルジェラのランウェイの話を持ちかけられ、そういえばずっとチェックしてないなぁ〜という事でMaison Margiela 24SSコレクションとアーティザナル(今はCO-EDって呼ぶんですっけ?)を流し見しておりました。

なんかずーっとワクワクが止まらず、凄いですねコレ。「ガリアーノってやっぱり天才なんだなぁ」って感じで終始ウットリしてました。

世間では色々と言われているマルジェラ。そのマルジェラ本人っぽさ今のを求めたところで、マルタン・マルジェラはもう退いております。そういうのは2008年以前のアーカイブやアーティザナルに求めて、新しいメゾンマルジェラはガリアーノ節を楽しめばいいと、そんな事を心から感じずにはいられないコレクションでした。

ランウェイと言えば、昨年末は東京コレクションでShoopのランウェイにご招待頂いたので、コレクションをチェックするのはShoopとsacai以来かな?
やっぱ真面目にちゃんと全部チェックしようって思いました。

はてさて、そんな感じで服の仕事に邁進しておりmomiの仕事も着々と進めております。armiやBELPERのSSのデリバリーもありますが、アイテムが目に見えて減ってきたしここいらでラインナップもテコ入れしなきゃなぁと思う次第。
ここはやはり敬愛するMartin Margielaよろしくミリタリーアイテムやハンティングアイテムを中心に仕入れようかなぁと。

それにしても世界的な服の価格高騰が顕著ですね。特に古着。

価格って何でしょうね。
モノの価値って何でしょうね。

例えば先に挙げたマルジェラ。
2002年のアーカイブでも特にドライバーズニットを代表とする魅力的なニットアイテムを手がけたMiss Deanna。MargielaだけでなくHERMESなど多くのメゾン・オートクチュールとの合流で功績を上げ、そんな歴史的にも意味のあるアイテムが現在の市場価格で10万↑くらいの推移かと思います。

一方で現行ドライバーズニットは新品で16万↑

「古着なのに価値が残ってるなんてすごい!」
という見方も出来ます。

「アーカイブ安くね?」
という見方も出来ます。

「現行値上がりし過ぎじゃね?」
という見方も出来ます。

こういったものは人の数だけ解釈があるので、一概に模範解答が出るモノではないです。

一つの商品に対して二人が購入を競えば、値段がどんどん上がっていく。需要に対する供給力によって価格が決まる、所謂インフレギャップという市場原理ですね。
「この価格で売れるんだ」というフォロワーが市場価格を一般化させていくものであり、であるならば「欲しい」という気持ちが数値化されているモノの価値ってのは一体何なのでしょうか。

つまり「高価であればあるほど良い」という事にはならないと、そう言いたい訳です。

そもそも欲しい人の数だけモノが用意できない状態なら、どんどん市場価格が暴騰していきます。転売も横行するっていう奴ですね。
クルマならフェラーリの世界もそうだし、ファッションならNIKEのスニーカーとかsupremeとか、身近なものならMTGとかポケカとか遊戯王カードとかもそうでしょうか。

逆に欲しい人が一人もいないのに、値段だけしっかりとしたものを提示しても何となく独りよがりな数字にしかならないと。

価格って何でしょうね。

そんなよく分からないものに左右されるよりも、自分が欲しいものを手に入れて添い遂げるっていう。その方が価値観として僕は好きです。一つのモノに二人が群がれば価値が云々ではなく、世界で自分だけがそれを愛していたとすれば、その愛したモノはダイヤモンドよりもずっと価値のあるモノだと。

僕の勝手な解釈ですが、敬愛するMartin Margielaもそういうことが言いたいんじゃないのかなぁって。彼が四つタグの事を好きじゃなかったという話もそうで、そして別にそれを否定していた訳ではない事からもそう感じる訳です。本人リスペクトでタグを切るファンもいらっしゃいますし、解釈の誤解だからタグは切らないという往年のファンもいらっしゃいますが、本質はそこじゃないと。

良し悪しで推しはかれるものではないからこそ、そのモノを愛でる気持ちが大切じゃないかなって。僕は思う訳です。

モノはモノ、服は服、お金はお金です。好きにしたらいいし、好きになったもん勝ちです。そうですよ。
世界で一番それを愛せば、それは世界で一番価値のあるものって事ですから。
資産価値こそが一番であるならば資産価値のあるものを身の回りに散りばめて生活すればいいし、価格こそに意味があるというなら自分の持ち物に自分で5000兆円の値札を付ければいい。やりたい事やるだけです。
好きという気持ちがあるならば、その尾鰭についたアレコレの数字はあまり意味のないものかなぁって。

価格ってなんでしょうね。

そんな服を取り巻く市場の数字に翻弄されながら
服好きであるという自分の本懐を見失って
コレクションを全然追っかけていなかった自分を恥じ。
そんな一節でありました。

5000兆円落ちてないかなぁ。

テラサカヒロシ

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