2022年ベスト映画(順位なし、観た順番です)


◉フレンジー(アルフレッド・ヒッチコック/イギリス/1972年)
素晴らしい。凄まじく面白い。本筋と関係なく、こんなに警部の食生活を見せられるとは。この警部が妻にバレないように魚介のスープを鍋に戻すサスペンスには腹がよじれるほど笑ったが、決してまずいとは言わない彼の優しさにもうっすらと感動した。

◉ステキなパパの作り方(ダグラス・サーク/アメリカ/1951年)
感動。ヴァン・ヘフリンがパトリシア・ニールの歓心を得ようというのではなく、ニールからも愛されていることでキャンプ地が一つにまとまるほっこり子供喜劇。これはコスミックのファミリー映画セットに入れてもらわないと...。

◉哀愁の湖(ジョン・M・スタール/アメリカ/1945年)
非常に恐ろしく、圧倒的に美しい。ジーン・ティアニー、コーネル・ワイルド、ジーン・クレインの3人まとめて最高傑作なんじゃないだろうか。妊娠を巡って議論する姉妹の対話の台詞は天才的だし、シャムロイの撮影も...もはや何を褒めたらいいのか分からない!

◉妻と女秘書(クラレンス・ブラウン/アメリカ/1936年)
これはジーン・ハーロウの暫定的ベストと言える傑作。事態収拾のためにマーナ・ロイを挑発し、本当にごくわずかな表情筋の動きだけで互いの気持ちを確認してみせる、見事なラスト。クラレンス・ブラウン的にも30年代末の名作『気高き荒野』への助走に見える。

◉少佐と少女(ビリー・ワイルダー/アメリカ/1942年)
なぜ自分がこんな名作を長年スルーしていたのか理解できない。ジンジャー・ロジャースという怪物的な能力の高さによって保証された、ワイルダー&ブラケットの綱渡りのような笑い。少女たちの集団的ヴェロニカ・レイク化のギャグは一番笑った。

◉シモーヌ・バルべス、あるいは淑徳(マリー=クロード・トレユー/フランス/1980年)
まさかこの映画が字幕付きで観られるとは快挙!ポルノ映画館、レズビアンバー、ドライブマイカーへと彷徨する夜明け前までの静かな疲労の蓄積と、ニセ髭の泣き虫男に向けられる優しさの片鱗が醸し出す目覚ましいドラマ。素晴らしい。

◉Killing Time(フロンザ・ウッズ/アメリカ/1979年)
とても面白い。軽妙な喜劇として目に映りつつも、見られる事との不断の戦いと自己愛がないまぜになった決死のメッセージとしても存在感を残し、あざやかに観客を煙に巻いてみせる堂々たる映画。

◉Fannie’s Film(フロンザ・ウッズ/アメリカ/1981年)
素晴らしい。類をみないほど穏やかで美しく、力強い足取りで近づいてきて、神々しく暖かいものを残していく。フロンザ・ウッズはどうやってこんな語り方を見つけ出したのだろうか? 他に映画は撮っていないのだろうか? いやーこの人は気になるな。

◉れいこいるか(いまおかしんじ/日本/2020年)
映画や物語を比較してはならないと普段から自らに厳しく律しているが、このいまおかしんじという人は、正直言ってシェイクスピアよりも才能があると思う。信じ合える人との符牒がいかなる金言や名台詞よりも輝く、人情喜劇の鑑のような映画。役者たちも魅力的。

◉最後の命令(ジョセフ・フォン・スタンバーグ/アメリカ/1928年)
エミール・ヤニングスの身体に張り付いた叙事詩としての微振動に向けられる、ウィリアム・パウエルの皮肉混じりの慈愛を見せるためだけに時間が費やされる。映画についての映画としても、スタンバーグの異邦人としての視点に哀愁と厳しさを感じずにはおれない。

◉恋の秋(エリック・ロメール/フランス/1998年)
ムチャクチャ面白い。ベアトリス・ロマンが「今日の自分は魅力的ではない」と規定する時間と身体の感覚の厳密さ。地味な邦題は「秋の寡婦」でも良かったと思うが、「幸せになるための新聞広告」とか「恋とワインと娘と私」みたいにならなくて本当に良かった。

◉17歳の瞳に映る世界(エリザ・ヒットマン/アメリカ=イギリス/2020年)
歌を侮辱される一瞬で主人公の孤独と苦境が溢れ出てくる。それ以降、この人物の歌を真面目に聴く者が現れることを、観客は願わずにはおれない。後半で再び主人公が歌う時の状況は決して良いものではないが、少なくとも、歌は消えて無くなりはしないのだ。

◉テロリズムの夜 パティ・ハースト誘拐事件(ポール・シュレイダー/アメリカ=イギリス/1988年)
これは相当に期待値が高かったが、そんなハードルをものともしない名品だった。過剰に演出を炸裂させても良いところを、不気味に抑えてダラダラさせていくところも謎で楽しい。膝カックン的な終わり方も最高。

◉橋のない川 第一部(今井正/日本/1969年)
何度も夢を見てはハッと目覚める孝二の精神の揺れを中心として、純度の高い青春映画としての背景を形作りつつ、何も良い事が起きない村の時間を生きる長山藍子や北林谷栄、伊藤雄之助らのボロボロの身体をかろうじて動かしている微かな力を注視させる。

◉橋のない川 第二部(今井正/日本/1970年)
やはり夢を見てハッと目覚める孝二の世界になだれ込んで来る米騒動や近しい人々の死。差別とヘイトクライムは苛烈さを増し、馬糞混じりの米を地面から拾う伊藤雄之助から目を逸らすことはできない。ドラマ的透明性は低下していても苦心は伝わってくる。

◉ミッドナイト(ミッチェル・ライゼン/アメリカ/1939年)
いい話。一般庶民のドン・アメチとクローデット・コルベールが上流階級の世界をウロチョロする話だが、アメチにしか無い独特の誠実さ、気品を兼ね備えたワイルドさがコルベールの寄る辺のないガサツさを包み込むさまを見せることに全力を費やしている。

◉Charlotte(ザック・ドーン/アメリカ/2021年)
「忘れられるよりも悪い事」のくだりには、誰にでも身に覚えがあるであろう、胸を締め付けるような普遍性がある。歌についての話であると同時に、「女が歌うこと」についての話でもある点で、単なる面白おかしい音楽映画から遥かに遠ざかることに成功している。

◉13回の新月のある年に(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/西ドイツ/1978年)
エルヴァイラ!スクリーンを突き破って主人公を抱きしめたくなるような映画は非常に稀だ。ズボンをずり下げたまま帰宅し、ゲーセンの片隅で泣きじゃくり、頭が麻痺しつつも最高級の合言葉を思い出す、レコードの針飛びのような哀しみの冒険譚。

◉街は春風(ミッチェル・ライゼン/アメリカ/1937年)
素晴らしい。いくつものバカバカしい物事が連鎖しつつ噛み合っていくスピード感の上を優雅に飛び回るレイ・ミランドとジーン・アーサー。オートマットに着目するあたりも極めてお洒落だし、エドワード・アーノルドが短時間で金を失っていく緊迫感も凄みがある。

◉キートンの探偵学入門(バスター・キートン/アメリカ/1924年)
恐らく、映画史上最も充実した映画内映画。既に映画の中に入っていること自体がギャグ。悪人が仕掛けた罠に自分たちがはまっていくカタルシス、バイク独走とカーチェイスの見事なアクション繋ぎ、そして何より危険な幻想。全てが揃っている。

◉メキシコ万歳(セルゲイ・エイゼンシュテイン&グリゴリー・アレクサンドロフ/ソ連=メキシコ/1979年)
凄すぎる。前提としてハリウッドでうまく行かなかった、という説明があるが、後半で展開されるメキシコ西部劇の見事な出来映えは、20年は先を行っていたように思える。予算も環境も劣悪であったことを考えると、とんでもない奇跡のような映画だとさえ言える。

◉幕間(ルネ・クレール/フランス/1924年)
4年後の名作『イタリア麦の帽子』にそのまま直結する、夢幻的に感覚を歪曲させ笑いをも誘うダダのショー。昔から場面写真を印刷物で目にしたりして、すっかり歴史の1ページ扱いになっていたものが、この上なく挑発的で素敵な運動体となって跳ね回る痛快さ。

◉小さな逃亡者(レイ・アシュリー&モリス・エンゲル&ルース・オーキン/アメリカ/1953年)
クソガキのミニマルな欲望の旅の根底に沈んだ、兄の死という厳粛な事実を観客は忘れないが、ジョーイは多分忘れてる。詳しいことは分からないけど、これは相当な労作ではないだろうか。'53年製作とすると、特に音響と撮影の工夫と苦心はかなりのものだろう。

◉マーニー(アルフレッド・ヒッチコック/アメリカ/1964年)
数ある「問題のある女」映画の中で、おそらく最高峰に位置するであろう傑作。役者たちの顔、光と陰、発作、異常な状況の中での笑い、そして何より馬、といった諸要素が、問題のある女と共に一気にラストまで駆け抜ける。後期ヒッチコックは本当に素晴らしい。

◉ザ・ビートルズ ザ・ファーストU.S.ヴィジット(アルバート・メイスルズ&デヴィッド・メイスルズ&キャシー・ドハーティ&スーザン・フロムキー/アメリカ/1991年)OV
基本的には5年後の『セールスマン』とやっている事が同じであることに驚かされる。ビートルズを撮るというよりは、スタッフやプレス、ファン、警備員やホテルマンまでも視野に入れた全体のプロジェクト感が素晴らしい。

◉風(ヴィクトル・シェストレム/アメリカ/1928年)
これは凄い!間違いなく今年のベストの1本。あの『都会の女』の2年前にこの映画が存在していたのか!という驚き。胸が張り裂けそうな描写が山盛りの女性映画であり、ハリウッドがほんの少しだけ作ることに成功した幻想的な西部劇の、恐らく最高傑作に違いない。

◉大阪の宿(五所平之助/日本/1954年)
素晴らしい。眉間に皺の寄った川崎弘子や水戸光子、安西郷子らが跋扈するリアリズムの宿に投げ込まれた佐野周二の不器用で歯痒い人情。何一つ解決できないままに最後の宴を迎え、乙羽のフォローによってささやかに癒されていたことに気付くのだ。

◉黄金時代(ルイス・ブニュエル/フランス/1930年)
シュルレアリスムが具体化した作品の中では群を抜いて、後世の芸術の源流となった映画かもしれない。モンティ・パイソン、ファスビンダー、蛭子能収、ディー・テートリッヒェ・ドーリスにまで及ぶ豊かな霊感。カウベルが鳴り響くモンタージュにはビックリした!

◉元禄忠臣蔵 前篇(溝口健二/日本/1941年)
悔しい、という一念だけを胸に豪奢な空間を幽霊のように彷徨する者どもを、どのような位置から、どれほどの長さで見るかという奇怪とさえ思える探究心に支えられた、まさしく不気味な幻を蘇生させる一大プロジェクト。戦時中っていうのがまた怖い。

◉元禄忠臣蔵 後篇(溝口健二/日本/1942年)
どっこい生きてる河原崎長十郎の劣化に隠匿されたディープな怨嗟が狂気に近いムードを滲ませ、男装の高峰さんも絡んできたりして、ほんの少しだけコマーシャルな感覚に歩み寄る。討ち入りを描く代わりに画面一杯の雪と花、には唸らせられる。

◉Lady Lazarus(サンドラ・ラヒレ/イギリス/1991年)
千々に乱れる心をそのまま写し撮ったかのような凄まじい映画だが、その情熱の奥底に鎮座している魔物が吐き出すかのような腐敗と生命のせめぎ合いは神秘そのものだ。シルヴィア・プラスが発する「放射能」という言葉が、Lahireのイメージと激しく共鳴する。

◉夜の騎士道(ルネ・クレール/フランス=イタリア/1955年)
名作。ヘラヘラした遊び人の将校が不可侵の領域に足を踏み入れてしまう話を喜劇的なトーンで見せつつ、その軽快なテンポがいつしか、主役たちの周辺の喜劇性を崩すことなく、取り返しのつかないペーソスへと様子を変えている。天才の所業というほかない。

◉異国の出来事(ビリー・ワイルダー/アメリカ/1948年)
戦争が終わっても勢いが止まらず、いろんな意味で瓦礫だらけのベルリンにつんのめっていくジョン・ランドとジーン・アーサー。安心して笑っていられる喜劇は撮らなかったワイルダーは、歓喜から失望へ沈静するジーン・アーサーの至芸をも引き出している。

◉風船(川島雄三/日本/1956年)
道端で歌っただけでリバーブがかかるほどの強力なイノセンスを発する芦川いづみの寵愛を受ける瞬間の新珠三千代や左幸子、森雅之の目の輝き、かすかな感情の顫えには、もう泣くしかない。あの壮絶なスケッチブックの絵を使ったカレンダーが欲しい。

◉ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地(シャンタル・アケルマン/ベルギー=フランス/1975年)
映画そのものの要請によって動き続け、光り続ける驚異的な200分。それでもまだ短いと思うほど、敵の要素は凝縮され、ヒロインは性急に壊れていく。喫茶店で席を立つ瞬間に泣く。

◉イントロダクション(ホン・サンス/韓国/2021年)
第3のパートでの、愛を意図的に創出することの罪深さについての議論を経て、ついに「失敗作」としての息子であるシン・ソクホが抱きしめられ、遠くから見つめられるに至る一連の流れには絶句してしまった。ホン・サンスは凄い所に行った。

◉あなたの顔の前に(ホン・サンス/韓国/2021年)
「映画的」な規則から最も自由な監督だと、つくづく思い知らされた傑作。ここまで映画的に「やるべきでない事」を連発してるのに、1秒も目が離せず、展開も読めない面白さ。最後の台詞はサンス史上最高の名台詞かもしれない。

◉アメリカの恐怖(ラオール・ウォルシュ/アメリカ/1936年)
『バワリイ』的な路線のウォルシュには、「暗闇では何事も可能だ」というケーリー・グラントの台詞通り、不可能は無い。ジョーン・ベネットによる素人捜査や、最大のピンチをヴァーバル・コメディでしか成しえない方法で脱出させる機転など、泣くしかない。

◉エル(ルイス・ブニュエル/メキシコ/1953年)
虚無から出現したとしか思えないほど空っぽな男の世紀のラブストーリー。夜中に棒をガンガン鳴らす、小規模なやり方で効果的にみんなの気を引こうとする姿や、物騒な七つ道具を用意する邪悪さと対比される、果てしなく疲れていくデリア・ガルセス。大傑作!

◉続・兵隊やくざ(田中徳三/日本/1965年)
観る順番が前後してしまったけど、『新・兵隊やくざ』はこのような修羅場を経ていたのかと感銘を受ける。中国人捕虜を逃がす場面や、中隊長の性暴力を食い止める場面など、感動的な世直しの後に必ず来る大宮と上等兵殿の親密さの描写。雁之助+小雁も強力。

◉座頭市物語(三隅研次/日本/1962年)
初めて観た!面白い!三隅研次は同年の『斬る』のカラーもいいけど、モノクロの捉え方、更には繊細な感覚の行き届いた美術、脇役の一人一人の顔に至るまで超一流だ。労咳持ちの幽鬼のような天知茂と勝新の対照的な身体のバランスもいい。

◉座頭市海を渡る(池広一夫/日本/1966年)
素晴らしい。より思索を深め、迷走しながらも人間を信じたいと率直に宣言した上で戦う座頭市の姿を美しい画調で捉えた本作は、これまで若干訝しく見守っていた池広監督の目覚ましい座頭市の名作だ。ヤクザ化した農民の怪しげな集団と首領の山形勲も魅力的。

◉新座頭市 破れ!唐人剣(安田公義/日本/1971年)
娯楽路線に振り切っているかと思ったら、意外に全体を仄暗いトーンが支配し、会話が成立しないジミー・ウォングを巡るドラマが言葉少なに味わい深く語られる傑作。実質的なヒロインである寺田路恵の素朴な存在感の魅力も大きい。

◉L.A.大捜査線 狼たちの街(ウィリアム・フリードキン/アメリカ/1985年)
中学生の頃、初めてこの題名を見た時は「大袈裟だなあ」と思ったものだけど、実際に観てみたら途方に暮れるほどの大捜査だった。ロビー・ミューラーの美学の結晶がそこかしこにあり、ワン・チャンの起用も的確。言葉が抜きでも面白い映画の見本。

◉La cigarette(ジェルメーヌ・デュラック/フランス/1919年)
デュラックの優美なイメージは断片的に見たことがある程度だったので、全盛期のヒッチコックを思わせる毒入り煙草のサスペンスが包含する適切な笑いには感動した。使用人が1本くすねるくだりや、妻から煙草を奪い取って大急ぎで吸おうとするアクションなど。

◉微笑むブーデ夫人(ジェルメーヌ・デュラック/フランス/1923年)
説明的な字幕が大幅に減り、神経症的かつ幻惑的なモンタージュの連結が整然と、しかし確実に我々の視界を狂わせる。夫の手の中の壊れた人形が示唆する通り、クライマックスでは壁の絵の中に人形劇がディゾルブされることで妻の狂気が温存されている。

◉悪魔スヴェンガリ(アーチー・メイヨ/アメリカ/1931年)
メチャクチャ面白い。陽気な絵のモデルとしてイメージを提供していたマリアン・マーシュが、ジョン・バリモアとユニット結成を経て恍惚の表情で息絶えるまでの夢幻的変遷。トーキー初期の音響と美術はまさしく催眠術のように心を捕えて離さない。

◉リリオム(フリッツ・ラング/フランス/1934年)
神が見せてくれる映画のスクリーンを触ろうとするシャルル・ボワイエ。このイメージを見るだけでも、この段階までこのマイペースなチンピラを見守ってきた甲斐があるというものだ。醜さも弱さも打ち破って届けられる本物の美をラングは描いた。

◉これが、宿命?(ヘルガ・ライデマイスター/西ドイツ/1979年)
母子家庭を映し出す映画を渇望する全ての者にとって宝物のようなドキュメンタリー。運命論者で武装大好き男の夫と別れて鬱病にまでなった母と、どうしようもなく未熟でハラハラさせられる4人の子供たちを見つめる痛切な2時間。

◉西鶴一代女(溝口健二/日本/1952年)
「生きにくい」どころではない世界に、寒々と横溢する悪の渦に飲み込まれる透明な存在。薄暗く沈黙する映像の中で、本当に田中絹代が死んでしまうんじゃないかと思った。お春のさすらいはその悲惨さにおいて完成度が高く見えるが、決して現実と無関係ではない。

◉私を町まで連れてって(ダグラス・サーク/アメリカ/1953年)
お尋ね者のアン・シェリダンが意外な家庭的ポテンシャルを発揮する、81分の魔法のような喜劇。サークがこんな素晴らしいカラー西部劇を撮っていたという事実だけで腰砕けになる。シェリダンを毛虫のように嫌う者たちの真剣さがサーク的に誠実!

◉身代わり花形(テイ・ガーネット/アメリカ/1937年)
「映画についての映画」の傑作。ジョーン・ブロンデルやレスリー・ハワードのような誠実な映画人が実在したわけだから、この30年代のスタジオの喜劇は虚構であるとしても、ある種の現実の虚無感を反映しつつネガをポジに変換せしめる意思が伝わってくる。

◉模倣の人生(ジョン・M・スタール/アメリカ/1934年)
勿体なくて長らく取っておいたスタールの映画。案の定これは...。パンケーキのスーパーバイザーとして登場するネッド・スパークスや、ピンキーの娘フレディ・ワシントン、その母ルイーズ・ビーヴァーズらの映画史に刻まれるべき名演が怒涛の感動を引き起こす。

◉C.R.A.Z.Y.(ジャン=マルク・ヴァレ/カナダ=フランス=モロッコ/2005年)
この映画の存在を全く知らなかったけど、これはヴァレの映画の中でも最も観られるべき映画だったのではなかろうか。特に幼年期~少年期の描写が見事で、過度にスピリチュアルな文脈を大胆に露出させるあたりも、胡散臭さよりヴァレの馬鹿正直さがまさっている。

◉パリ13区(ジャック・オーディアール/フランス/2021年)
テクノとモノクロのマッチングからして鼻につくほど巧い。無駄に隠したり思わせぶりにしない演出の美。欲望を満たした後のダンス、車椅子を折り畳めず涙、嬉しすぎて失神...など、人の心の底に何があるのかを効果的に示す語り口は、今や貴重な才能かもしれない。

◉愛の記憶(W・S・ヴァン・ダイク二世/アメリカ/1940年)
長らく待ち望んでいた映画。期待を軽く超えてきた傑作。記憶障害という霊感の源から可能な限り得られる笑い、危機感、アクション、レイ・ティールを揃えた一級品。ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイこそが「ハリウッド」なのだと納得させられる高次元の輝き。

◉チャップリンの画工(チャールズ・チャップリン/アメリカ/1914年)
The Face on the Barroom Floorという原題が、まさしく這いつくばって女のイメージを描き出すチャップリンの姿であることが判明する瞬間の、キーストン喜劇らしからぬ高尚なペーソスはどうしたことか。「画家の映画」としてもトップランクに位置する。

◉スウィート・シング(アレクサンダー・ロックウェル/アメリカ/2020年)
ここまで無心に見つめ続けたくなる映画は珍しい。妖精のように瑞々しい子供たちの話であると同時に、人が老いて劣化していく話でもある。ビリーが幻視するビリー・ホリデイが纏っている古風な優しさといかがわしさ、力強い存在感も素晴らしい。

◉Thunder Over Texas(エドガー・G・ウルマー/アメリカ/1934年)
ウルマーがメジャー追放後に変名で撮った西部劇。ただのプログラムピクチャーかと思わせて、グイン・ウィリアムスの幻想的な登場、棺桶の死体みたいに見える少女、効果的な遮蔽物、少女の目の前の銃、最後の「ラジオ」の泣ける演出など、非凡かつ劇的。

◉二日間の出会い(ヴィンセント・ミネリ/アメリカ/1945年)
いい。素晴らしい。明らかにパウル・フェヨスの『都会の哀愁』を現代風に──と言っても'45年だけど──踏襲した話で、ロバート・ウォーカーとジュディ・ガーランドはよくぞ!と快哉を叫ぶ組み合わせ。であるばかりか、数秒のレイ・ティールまで。

◉活動役者(キング・ヴィダー/アメリカ/1928年)
キング・ヴィダーに一生ついて行こうと思わせる傑作。マリオン・デイヴィスが持てる最大のポテンシャルを発揮し、アゴで受け止めるハリウッドの光と影。映画の中の厳しい現実に「低俗な喜劇」が鮮やかに入り込む終盤の展開は涙なくしては観られない。

◉群衆の歓呼(ハワード・ホークス/アメリカ/1932年)
簡便な物語の中に、観る者を陶酔の境地へと誘う人物の配置/位置関係を示す技を凝らした大傑作。ミソジニーと並行して描かれる女同士の固い結びつきと兄弟愛がギラギラと絡み合うプロットの果てに、劣化したキャグニーの大逆転劇がサラッと実現される。

◉ミストレス・アメリカ(ノア・バームバック/アメリカ=ブラジル/2015年)
今年観た中で一番笑った映画かもしれない。間違いなくヴァーバル・コメディの最先端を行きつつ、人物をどう見せるべきか、立つべきか座るべきか、加えて画面がバキバキに割れた携帯といった類のバームバックの地味な努力もまた、着実に実を結ぶ。

◉魔の谷(モンテ・ヘルマン/アメリカ/1959年)
冒頭で写真の話なのかな?とワクワクし、すぐにスキーの話になって戸惑い、スキーと犯罪の話か...と思ううちに、どうやらもっとスケールの大きな怪異譚らしい...と理解させられる、文字通り映画の谷間に魔が潜む映画の底に、先住民のお手伝いさんの美がある。

◉風雲のチャイナ(フランク・キャプラ/アメリカ/1933年)
孤児の救出や過酷な内戦などの現実の地獄と、悪役もヒロインも一緒に身を寄せ合いたいと思わせる夢、または天国の描写とが一つの時空に統合される。このスタンウィックは微妙なニュアンスに富んでおり、全く宣教師には見えないがそれはどうでも良くなる。

◉ボクシング・ジム(フレデリック・ワイズマン/アメリカ/2010年)
対面の打ち合いの様子はほとんど現れず、個々人の肉体の世界がすれ違い、同居する圧倒的なパノラマが現れては消え、いつの間にか自分の身体の中にも、観ているうちに映像の運動や音に感応し、蓄積された独特のリズムや振動が生まれてくるのが分かる。

◉乳房よ永遠なれ(田中絹代/日本/1955年)
バイオピックがピック=映画であることが忘れられつつある現在に向けて、50年代の札幌の景色を携えてフィードバックしてきたかのように鬼気迫る名作。霧雨やお風呂の湯気、朝靄に白々と包まれた、繊細この上ない出会いと別れのタペストリー。

◉霊魂の不滅(ヴィクトル・シェストレム/スウェーデン/1921年)
デュヴィヴィエの最高傑作『幻の馬車』と同原作。このシェストレム版も狂おしく名作だ。生命体として朽ち果てる間際の、というかもう駄目な筈なのに時空を打ち破り「牢獄」へ立ち戻って善を行う、この大晦日から元日へ年を跨ぐ不気味なドラマに音声は不要だ。

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