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狂った世界と無邪気な大人たち

最近の話題というと何を思いつくだろうか?
個人的には、ワクチン、超過死亡などもあるが
マイナンバーカード問題や昆虫食のことも思い浮かぶ。

かなり捻くれ者の僕は、
ワクチンは一部の人達のビジネスだと考えているし
超過死亡の増加も、それに関連していると考えている。

では、政府が猛烈に進めようとしている
マイナンバーカードは、どうだろうか?

これも、裏に利権があったりするんだろうし
ジョージ・オーウェルの”1984”のような全体主義的な
管理社会を目指している一部の狂人達の策略だと考える。

昆虫食はというと、これも新ビジネスなんだろうと感じる。
”これから食糧難になるぅ〜”と言っているのだから
どこの国も、食料自給率を高めることに尽力すればいいものを
わざわざ、”コオロギを食べよう〜”ってなんだろう!?

食料自給率が、100%やほぼ100%に近い国はいいとして
日本は、周知の通り低すぎだ。

こういう話を日常の中で、周りの人達と議論したいと思っているが
全く興味のない人ばかりで、話す相手もいない。
これが最大の個人的ストレスかもしれない。(笑)

僕は、過疎地で暮らしはじめて10年以上になる。
周りは農業や漁業などの一次産業に携わる人が多い。

僕自身は、現在50代後半にも関わらず、若手の部類だ。^^;
僕よりも年配の方たちに囲まれて生活しているのだ。

だが、その先輩たちが、あまりに無邪気なのだ。
個人の事以外に、興味が全く無いことに背筋が寒くなる。

夏目漱石の”私の個人主義”を読んだとき
一番印象に残った部分があるので一部引用する。

熊本には大分長くおりました。突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。私はその時留学を断わろうかと思いました。それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳もなかろうと考えたからです。しかるに文部省の内意を取次いでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。

青空文庫 1998年11月19日公開 夏目漱石 私の個人主義より


この中の”国家のために役に立つ訳もなかろうと考えた”という部分が
とても、印象に残った。

なぜ、これを持ちた出したのかというと
この当時の人達は、”国家”という視点が少なからずあったのでは?
そう感じたからだ。

現在の先輩たちと話していても、”国家”という視点を持った人に
いまだ、ほぼ出会ったことがないのだ。

個人の事ばかり、あるいはメディアで報じられたことや
近所の人の陰口、そんなことばかりを
無邪気に話す先輩たちをみて、漠然とした不安を抱いてしまうのである。

ワクチンのこと、超過死亡のこと、マイナンバーカード、昆虫食
どうも、この世界は狂ってしまったのではないか。
そんなことを感じてならない。

気候変動の問題も、果たして本当に問題なのだろうか?
過去に地球は、生物が存在しない時期があったり氷河期があったりと
様々な時期を経験してきていることを考えると
現在の環境変化もその一つではないのかと思う。

それを問題視することで、
ビジネスに結ぶつけているだけではないのだろうか。

こんなことを考えている僕は
やっぱり、捻くれ者なのだろうか。

還暦を目前にしても、様々なことを疑問に感じてしまう。
子どもの頃は、40歳ぐらいになれば
迷いもなく生きられるようになるのでは、という幻想をみていたが
実際に、40を過ぎ60が迫ってきても
不安や迷いは消えないものだということが分かった。

不安や迷いを無視して、
自分の事だけを考えて生きていく道もあるのだろうが
それは、僕の生き方としては正しいと思えない。

これからも死ぬまで不安や迷いと一緒に
学び続けながら、自分が正しいと思った道を生きていく。

人間は、生涯学び続ける必要があるのかもしれない。
なぜなら、学んでも学んでも
分からないことばかりだからだ。

人生とは、ずっと道半ば
そんな言葉が思い浮かんだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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