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東国旅行記-鹿島神宮-

今回は趣味全開の旅行記なので人材開発系の方はすみません。人の行動原理がライフワークなので、それを学ぶために、歴史と宗教が最近のテーマなんです。(特定の宗教は持っていません。)

神社ネタは人を選ぶので、お好きでない方はスルー推奨。

さて、日帰りで鹿島神宮にいってきました。鹿島神宮は、昔神宮が3つしかなかったうちの1つで、由緒ある神社です。(あとは伊勢神宮と香取神宮)

先日、諏訪に行って、色々勉強した結果、諏訪と鹿島の関係が面白いと感じたのと、最近、旅行ガイドブックとして活用しているミステリーQEDシリーズの最新刊「神鹿の棺」が鹿島神宮まわりの東国三社が舞台だったことですかね。

文字には絵がない分、想像力を掻き立てられ、本物を見て、いや、確認したくなります。小説はフィクションですから、やはり目で見ないと想像なのか事実なのかわからないんですよね。

さて、まず、今回は車で鹿島まで行きましたが、到着直前にこんな場所を通りました。これが一之鳥居なんだそうです。水上鳥居。エモい。


現地につくと、参道にはなまず料理店があります。それはさておき、まずは地図の確認。鹿島神宮は地図が面白いようなのです。

鹿島神宮公式サイトより

左側から入るのですが、まっすぐ参道が奥まで延びてます。普通なら、参道の終わりに本殿ないしは拝殿がありますが、ここは道中の脇にあって、通り過ぎそうになりました。

まず高房社から参拝するのがマナーとありました。

拝殿の前の小さなのが高房社


鹿島神宮ホームページより

その理由はさておきどんなものなのか見てみたい。以下が高房社の立て札です。

高房社

一番左に「本社参拝の前に詣でるのが古例である」とあります。今の感覚からしても、一番先にご挨拶する相手は格上の方なので、つまり、ここが最も格上ということのようで、右側の祭神を見ると、建葉槌命とあります。以下、wiki。

ただ、以下の縁起にあるとおり、鹿島神宮のご祭神は建葉槌命ではなく、武甕槌(タケミカヅチ)です。

武甕槌は国譲りの主要なプレイヤーで、諏訪に建御名方を追い込んだので有名ですので、説明は割愛しますが、なんで祭神より先に、、、というのがミステリーなのだそうで。

そのまままっすぐ参道を歩くと、大きな鳥居があり、それを超えると静謐な参道に差し掛かります。途中に右に曲がる細道があり、これがまた重要だと本にはありましたが、今回の旅行ではその真偽は確認できませんでした。

途中には、神鹿(しんろく)のいる鹿園があります。鹿島の鹿ですね。ニンジンを買うと餌やりができます。

鹿園の神鹿

そのまま、まっすぐ進むと突き当る。突き当りには奥宮があり、左右に分かれ、左には御手洗池、右には要石があります。

再掲

参道の突き当りには何もなく、やはり右側に奥宮があります。奥宮は古式ゆかしい造りです。

奥宮には、武甕槌大神そのものではなく、武甕槌荒魂とあります。「荒魂」とは何か。

神社検定を勉強したときに少し調べたのですが、雑に言うと、平和な魂である和魂と荒ぶる魂である荒魂があるようで、キン肉マン世代の僕は阿修羅マンの阿修羅面怒りのようなものと理解してます。

他にも幸魂、奇魂なんてのもあり、かつ諸説あるためややこしいです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82

自分は心底怒ると普段の自分とは別人だと思うので、荒魂というのは別人なのかもしれません。
 
奥宮の向きは拝殿・本殿と同じく、北面を向いています。奥宮からは御手洗池がある方に面しています。これも面白い。調べてみたところ、元々の神社の入口は御手洗池がある側だったそうで納得しました。

鹿島神宮ホームページより

奥宮は鹿島神宮のホームページによると、参拝するときに「忍手」つまり音を立てずに参拝するルールのようです。僕は先に知っていたので忍手で参拝しましたが、前の人が元気よくパァン!と参拝したので、鹿島神宮は立札をリニューアルしても良いのではと感じました。

ミステリーとしては、なぜ音を立ててはいけないのか?になります。

次に突き当りを右折すると、観光スポットである「要石(かなめいし)」です。

その手前にはモニュメントがあり、ついに鯰封じで知られる鹿島神宮のメインスポットにきたという高揚感が高まります。

武甕槌が鯰の頭に棒を指しているモニュメント

以下が要石です。すこーし、見えにくいかもしれませんが、紙垂の手前にある少し凹んだ石が要石です。

この凹みが大事

鹿島の要石は、香取神宮の要石と対を成し、鹿島の要石は陰石(凹)で鯰の頭を封じ、香取のそれは陽石(凸)で鯰の頭を封じます。

日本人にしか理解できない、鯰が地震を引き起こすという幹線道路の避難を促す掲示板のあれです。

この石は巨大な石の頭に過ぎず、水戸光圀公が七日掘りまくった結果、全容見えずということで断念したという伝説があります。

以下は、要石に関する立札ですが、水戸光圀公の話の他に3つのキーワードがあります。1つが香島の表記、もう1つが磐座、もう1つが心の御柱かなと思います。

鹿島の鹿はかつては香取の香で表記されていたんですね。以下に、甕星香香背男のリンクを貼ります。

なんのこっちゃという唐突感ですが、日本書紀に登場する人物です。リンク先を超訳すると、「甕星香香背男だけ従わなくて二神(武甕槌ら)が頑張ったけど、手強かったので、建葉槌命にヘルプを頼んでなんとかしたぜ」ということです。ここで、冒頭に出てきた高房社の話がリンクしてきます。

次に磐座(いわくら)です。最近、神社にハマり気味だったんですが、いわゆる神社は神道の体系ができあがるよりも前にあった民間信仰的なものを基盤にできあがっていて、その1つが巨石信仰みたいなんです。

で、最後の心の御柱はご存知の通り、伊勢神宮の御神体。これと比肩される形で書かれているということは、要石が鹿島神宮の中で一番大事なものっぽい。

なので、この神社はこの石を中心に作られてると考えてよい。

そう考えると御手洗池側から要石に至るルートは一般的な神社に見えるというわけです。

さて、もう少し足を延ばし、復路で御手洗池まで下ります。御手洗は御手洗ではなく、みたらしと読みます。文字通り、禊のために清める場所で、この水を作ってのドリンクや、みたらし団子などが売られていました。

御手洗池は、「水上鳥居」があります。はじめにみた一之鳥居同様。ここでも水上なのは何らかの意図がありそうで、これもまたミステリーです。

そのそばには鹿島七不思議などが書いてありました。御手洗の説明の「乳を過ぎず」も読解困難で水位が乳を超えないとありますが、これもまたミステリーです。

以下が水上鳥居の写真です。鹿島神宮の鳥居は基本的に鹿島鳥居といって、二本の円柱を立て、上に円柱を重ね、下のだけが角柱という形式です。

冒頭の水上鳥居も、奥宮もこの御手洗池も鹿島鳥居でした。

厳島神社を想起する水中鳥居


加筆。以下、ここで禊のされている様子。

最後に、一番はじめに通りすがった拝殿です。鳥居がここだけ違います。この形式は神明鳥居というらしいんです。これもまたミステリーですね。

最後に拝殿の写真

ちなみに、本の中にあった宝物殿は改修中で令和3年からやっていませんでした。中に、悪路王とか韴霊剣とか価値あるものが見られそうだったので、残念でした。ちなみに香取神宮側も閉まっていました。

これを読んで鹿島神宮に行きたくなったようでしたら是非コメントください〜。

PS この他にも剣聖塚原卜伝に関するものも多々ありました。また、本殿裏には鏡石というのがありますが、それも見落としました。次回に再チャレンジしたいです。

今回は更に香取神宮にも行ったのですが、それと合わせないと書けないことがありますが、長くなったので続編に。香取神宮はこちら


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