【生徒指導】その先を見る力
こんにちは。
こうじ先生と申します。
今日は生徒指導に関するお話をします。
それは「その先を見る力」です。
この価値観に出会えてから、私の生徒指導に関する意識が大きく変わりました。
若手の頃の生徒指導観
私は若手時代に生徒指導で悩みました。
このブログで何度も書いておりますが、、、
何を指導するのか、何を許すのか。
指導するとすれば、どれくらい強く怒ればいいのか。
怒鳴るべきか諭すべきか、、、
その生徒がどう、というよりかは周囲の先生方の顔色を伺いながら指導していたように思います。
怒鳴る先には何がある?
大声で怒鳴る先生は「怒鳴ること」を目的にしている人がいます。
過去の私がそうでしたから、、、
怒鳴る指導は怒鳴ることで指導が完結しているパターンが多いのです。
しかし、「怒鳴る」はあくまでも指導法の1つ、手段の1つにしか過ぎません。(正しい方法とは思いませんが)
では目的はなんでしょうか?
生徒を泣かせることでしょうか?
泣かせた先に何があるのでしょうか?
例えば、提出物(宿題)を全く出さない生徒がいたとしましょう。
この生徒は指導の対象になりますよね。
あなたならまずどうしますか?
若手の頃の私なら呼び出して一喝していました。
それでも出さないなら?
前回よりさらに大きな声で指導します。
怒鳴り散らすとでも表現しましょうか。
それでも出さなかったら?
もうできることはありません。
ここで終わりなんです。
職員室で「あの子は全く提出物を出さない」と同僚に愚痴ったところで、何も変わりません。
「提出物を出さない」ことへの指導のゴールが「怒鳴ること」「泣かせること」ではいけません。
その先を見る力とは
私は生徒指導において「その指導の延長線上には何があるのか」を考えるようにしています。
そのため怒鳴る指導はしないようになりました。
先ほどの事例でいくと「提出物をしっかりと出せるようになる」ことが指導のゴールだと仮定しましょう。
そのゴールまでにどんな障害があるのかを考えます。
すると色々な理由が考えられます。
思いつく限り書きましたが、きっとこれ以外の理由も存在するはずです。
これだけの理由が考えられるのに、一律に怒鳴って指導はナンセンスすぎます。
怒鳴る指導の延長線上には、生徒が大人に対して不信感を抱くしかありません。
ただ一律に叱ることを否定しているわけではありません。
時には叱っていいんです。
しかし、先ほどから言っている通り「叱ったその先」まで考えているのかが大切です。
もし「提出物を出さない理由」が先ほど書いたものよりもっと複雑な場合もあるでしょう。
そうなると、ゴールまでの道のりは本当に遠くなります。
しかし、その遠い道のりを生徒と共に歩むしかないんです。
まとめ
生徒指導に関しては、多種多様な状況がありますので一律にこれがいいなんていうものはないと思います。
しかし、「その先を見る力」はどんな状況でも大切なのだと思います。
今あなたがしている指導法の先には本当に達成したいゴールはありますか?
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