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猪を捕まえて肉にするまで

静岡県掛川市で生まれ育って18年、俳優を志して上京して18年、ちょうど半分半分になり、37歳で去年から再び掛川に住みだしました。

『永続可能で幸せな生活方法@地球』を模索するためです。

帰郷する一番大きな要因になった狩猟についての一部始終です。最近は環境問題や食の安全の観点、スーパー資本主義で職業の専業化が進んで実感が得づらくなったことからか狩猟に興味を持つ人が増えて流行ってきていると思うのですが、実際にやってみて2年目はこんな感じです。

一人で山に行き、罠を仕掛け、自分の罠に掛かった野生の動物に出会うと、自分の人間性が全てさらけだされる感じがします。一人のホモ・サピエンスになって肉を得るためにイノシシと向き合うというか。それしか野生のイノシシには通じないし僕が何者であるかなんて関係なくてただイノシシにとっては自分を脅かす存在でしかないので。

思えば人生で「怪我するかも」「死ぬかも」と思ってしていることなんてほとんどないなあと思います(特に日本で普通に暮らしていたら)。だから記録した動画を見返してみたら、自分がこんなに息が上がっていて、こんなに独り言を言っていたんだと気付いたり、止め刺しで急所を一発で決めれなかった時に「わりい」と発した僕がイノシシのことをどう捉えているのか、とか、はっきり言って未熟で器も小さくて、俳優として役を演じて人前に立つ時や、シェイクスピアの「この世は舞台、人は皆役者」的な意味の役も演じていないから、本当に丸裸で恥ずかしいです。

そして、槍で止め刺しをした際の、イノシシの叫び声は本当の叫び声で、自分がやったことに向き合わされます。正直言ってあの時山で聞いた一回だけでいいし、動画の編集をする際も聞きたくありませんでした。部屋で飼っているコザクラインコもその叫び声を聞いて、叫んで暴れました。

きっと鉄砲で止めさすか、棒でどついて気絶させてからの方がイノシシを苦しませずにできるけど、僕は鉄砲を持っていないし、まだ棒でどつく技術も度胸もありません。

『人に食べられる為に飼われている動物の幸せを搾取したくない』『山で自由に幸せに暮らしている動物を獲る』、と狩猟を始めたものの、仕留めるまでに手間取ったり、死ぬ時に無駄に苦しめてしまった時は僕が未熟ながら一人でわな猟をしているエゴでしかないので申し訳ない気持ちになります。誰にも頼まれていないのに好きでやっていることだし。

(本当はこの後に、枝肉を家で小分けにして冷凍保存する作業まであるんだけど撮り忘れました、、)

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