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逃男 #4 『 がらんどう 』

初めての彼女との失恋の傷は大きく、何年も何年もかけて忘れることに努めた恋です。なので当時の細かい心情や行動は正直ほとんど覚えていません。書き出すまでに相当な時間がかかりました。
 もう思い出す必要なんてないし、ここは飛ばして、次の章を書いてしまおうかとも思いました。しかし、今考えると失恋後の苦しんだ時間が今の僕の強みを作ったのは間違いありません。傷が完全に癒えた今、備忘録として残しておくことにします。

ちょっと嫌ですが、僕の女々しい部分も含め書き晒します。

親元から離れ、自分の経済圏で全てやりくりして生きている。
人生初めての彼女ができ、大学近くに自分の部屋をもち、学費が無料で進路の縛りもない、そして自由に使えるお金が80万円もあった僕はそれまでの人生からは考えられないほどセルフイメージに満ちていました。
 もっと言ってしまえば、それまで生きた人生と大学入学後の人生が線でつながっているとはどうしても思えないのです。一方で、高校時代に女子と話すことが皆目無かった僕は彼女との接し方に空回りしていました。とくかく「誰かより優れているところ」を彼女に見せて、魅了し続ければ関係は持続するし安泰だと思っていました。なのでまずは、金があると思われようと思い、貯金していたお金を惜しまず彼女にはほぼ全て奢り、半同棲できるように良い部屋を借り、10万円くらいするクロスバイクを買い、ソファも買いました。
 1万円するジャケットをサイズもろくに見ずにパッと買い、後で家に帰って着てみたら大きすぎて合わない、なんてこともありました。それを返品するのが面倒くさく、他のものを即買いしました。

そして金の次はスキルを見せつけようと思い、彼女と一緒に数学の授業をとっては、丁寧に教えてあげて「勉強できる感」と「優しさ」を同時に見せつけるということも試みました。
 彼女が家で料理を作ってくれた時は、たとえ不味くても、美味しいと言うと決めていました。そうすることで、「彼女のこだわりがわかる男」になろうとしていました。
 彼女が他の男子と話したり出かけたりしても心底何も思わず、自分も自由にさせて欲しいと思っていました。彼女には「縛りのない器の広い人」だと思ってもらえてるな、と思っていました。

彼女は今思い出しても美人でした。そんな彼女と一緒にいるのは何よりの自慢でした。特待生であることよりも、良い家に住んで自立していることよりも、良い服を着ることよりも、ずっとセルフイメージをあげてくれる存在でした。

建築学科の製図室には図面の提出期限が迫ると学生がひしめき合います。なんとか提出期限に間に合わせるため、学生は数日前から授業の後に製図室に通って図面制作に取り掛かります。そして提出期限前日には、作図が遅れた学生たちが夜通しでこもり、髭も剃らず、目の下にはクマをつけながらせかせかと図面を書いています。
 ある日の提出期限前日に作図が終わった僕は彼女を連れて製図室でお弁当を食べたことがあります。建築学科はほとんど男子しかいないので、他の学生からは注目が集まります。もちろん、見せつけて自慢するためにわざわざ製図室で一緒にご飯を食べました。
 本当にクズ際まりないなと、思い出すと当時の自分をぶん殴りたくなるのですが、これが当時の僕には、セルフイメージをあげてくれるこの上ない行動でした。

彼女をもつとは、こんなに気分のいいものなのか。
 僕は彼女がいることに満足でしかありませんでした。しかし、彼女はそうではなかったようです。付き合って1ヶ月ほど経った時、急に別れたいと告げられます。授業の後、その日は実家に帰る彼女を最寄り駅まで送る道中でした。

 えっ? 戸惑いのあまり、言葉が出てきません。一体、何が悪かったのか。
彼女のために魅力的になる為にやれることはやったはずでした。かなり、イケてる彼氏のはずでした。

「自分にしか矢印が向いてないね。お金とか君の能力とか、どうでも良い。私にとって興味ない。人のことを理解しようとしない人と、一緒にいる意味はないです」

どんな話だったか、彼女がその時どんな話し方だったかは覚えていません。ただ、纏めるとそういう内容でした。
 彼女の言葉が当時僕には全く理解できませんでした。今彼女に別れ話をされている、それだけなんとか理解できました。

 「そっか」

 彼女が離れていくのは仕方ないと思っていました。自分の能力に何らかの物足りないものがあって、それが不満で彼女は離れようとしている。だとしたら、今彼女を引き止めても無駄で、一度また1人になって、もっと勉強して、もっと稼いで、いつか、見返せる日が来ればいい。そう自分に言い聞かせて、その場で別れました。痛みに似た辛さでした。ただ、彼女ともう一緒に居られなくなることへの辛さではなく、「お前は高校時代と何も変わらない、イケてないやつだ」と烙印を押された気がして、それによる辛さでした。

 翌日、彼女からLINEが来ます。「夕方に6時に大学の最寄り駅前の公園に来て欲しい」
 一度振られた身です。彼女の前でもうプライドなんてありません。もうそっとして置いてくれと思いながらも公園に足を運ばせると、そこには彼女がいました。
 「本当にこれで終わっていいの?どこまで彼女を大事にしないの?」
切羽詰まった、泣き出しそうな声で彼女に問いただされます。
 前日に彼女に別れたいと言われた時、僕は彼女の決断を大事にしたいが故に、そして悔しさをバネにまた1人で強くなるために、受け入れたつもりでした。ただ、それは間違った決断だったらしいと思ったのです。高校から友達とまともに話すことさえなかった自分に、自分の為に泣きそうになりながら話してくれる人ができるなんて考えたことはなかったと思います。それまで、周りから愛される為には一生懸命能力をつけるしかないと思っていました。しかし彼女の場合は目の前の人の全てを受け入れようとしているようでした。

その場で彼女に頭を下げ、もう一度やり直したいと伝えます。彼女はその言葉を受け入れてくれました。ただ、ここからが地獄の始まりでした。

関係が修復してから、僕は彼女が愛おしくてたまらなくなっていました。授業中でもバイト中でも頭の片隅では彼女のことを考えていました。今何してるのかなとか。ご飯食べたかなとか。LINEの返信が遅いと心配で居ても立ってもいられなくなりました。時に彼女が学科の友達数名と夕食に行くとでもなれば、彼女のことばかりを考えてしまって目の前のことに集中できなくなりました。

でも、それでも良かったのです。自分のことばかり考えていた以前に対し、今は彼女のことをずっと想っている。今の方がよっぽど彼氏らしいではないか、と。彼女とも距離が縮まっていくのを感じていました。まず第一に彼女がいて、彼女のために自分がいる。そう考えるようになっていました。

授業をたまにサボっては彼女と遊びに行き、出席したとしても教授の話などほとんど聞かないような日々でした。当然、成績は下がって行き、挙句の果てに授業についていけなくなります。そうすると、今まで特待生として溢れていた自信も少しずつ無くなっていき、自信の寄せどころは彼女に向いて行きました。そのおかげで彼女とは距離を縮めることができたものの、数ヶ月して臨界点に差し掛かりました。彼女と一緒に入れない時間が、想うための時間ではなく嫉妬する時間に少しずつ代わり、彼女もそれに疲れているようでした。
 年末近くのある日、アパートの部屋にいた時、彼女がバイト先の同僚と夕食に出かけようとしていました。それが嫌で、反対した僕は勢いに任せ、もうこれ以上我慢できない。別れたい。と彼女に言いました。彼女は、そうだね、今まで苦しませてごめん。と言い、アパートの部屋を出て行きました。
 彼女が出て行って静まり返った部屋の中で、悲しさを抑えられない一方、気が少し楽だったことを覚えています。これでもう嫉妬しないで済む、と。

その翌日、夕方にバイトが終わり家に帰った僕は、アパートの部屋から彼女の荷物が跡形もなく無くなっていることを目にしました。服や靴、教科書、調理道具など、結構あった荷物がそこに空白だけを残して消えていました。そして、郵便ポストに合鍵が入っていました。

僕はこの光景を見て膝から崩れ落ちるようにして、しばらく身動きが取れなくなりました。急いで、彼女に電話をかけますが、ワンコールで切られます。何度かけても同じです。ラインをしても、既読すらつきません。
 悲しみと混乱と、頭の中がごちゃごちゃになり、死にたい気持ちでいっぱいになりました。彼女と別れた。この瞬間に初めて実感しました。

周りを見渡しても誰もいません。彼女のことだけ考えるようになってしまっていた僕には、かつて持っていた自分への自信はもうかけらもありませんでした。

つづく











 


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