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鋼のメンタルより竹のメンタル(しなやか)

先日、職場で自らの雇用契約についての面談の際、ショックを受けて沈み込んでいました。

人事担当者、自分の部の副部長、直属の課長との面談。
どの人物もわたしが働く職場とは別の場所で働いていて、だからこそわたしの働きぶりは勤怠でしかわからない。しかし、この「勤怠」ということばもイヤなものだなあ、と。熱が出て休んだら「怠」となってしまうが、そう考えるのはいちゃもんと言うものだろう。

人事の担当者。
どう贔屓目にみても、障害者雇用の法令や実務、常識について、わたしよりはるかに知識は少ないと感じる。第三者に判定してもらっても、きっとそのような結果になるはず。

副部長。
それなりの役職だからそれなりの判断決断、会議もあれば仕事量もあるだろう。こちらから、事実を前提として職場環境に問題あり、挨拶がないことも含んで二度ほど申し入れをした訳なのだけれど、なしの礫。
本人にやって欲しいわけではない。時間が取れないなら、部下に指示してやってもらえばいいのではないか。

課長。
一度しか話したことない(笑)、副部長ともその程度。

彼らの立場を想像し、ふまえて考えるとしたら部下たちからわたしの情報を入手しているであろう。それはわかっているけれど、実際に面談の場で話すのは彼らたちだ。発言者たちは彼らであり、判断するのも彼らである。百歩譲ってもピントがずれていた。
世の一定以上の規模の企業での考課がまた聞きで行われるものかどうかわからないけれど、以前、某損保会社にいたときはそうではなかった。

わたしが何にショックを受けたかはまた書くことがあるかもしれない、ないかもしれない。
思い上がりも甚だしいのかもしれないが、人事の担当者よりはるかに適任であると思ってしまったことは間違いない。いや、無根拠というわけではなく、法令で義務付けられている事柄をご存じなかったから、その方が。

大袈裟だけれど、多様性とかジェンダーとか人の見る目とかは号令がかかっても偏見なしに自然な見方に変わっていくには時間かかるんだろうな。


昨夕、就労移行支援事業所のOBOG会があって、あまり行きたくなかったのだけれど、行ったら行ったで気が晴れました。単純。

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