祖父を見送って

「また教会の話なんだ、すまない」

5月26日に札幌市内でひらかれた葬式に参列してきました。大酒呑みで、どちらかと言えば迫害する側だった祖父。それが、病床で思うところがあったのでしょう、洗礼を受けました。それから約1年半。86年6か月の地上の生涯を終えたのです。

キリスト教式の葬式ですので、聖書の話がありました。マタイの福音書より、天国のたとえのくだりでした。朝から働いた従業員も、夕方招き入れられた従業員も、等しい賃金をもらうという例話です。祖父はさながら、夕方招き入れられた従業員に似ています。人生の終盤で信仰を授かり持ったからです。救いと天国はすべての人に等しく開かれて、招かれているということが読み取れます。(全人類がそれを認めるとはいかないのもまた、現実です)

この世は時間軸の中でしか物事をとらえ考えることしかできません。しかし天国は永遠のところという内容の話でもありました。そこで必ず再会できると。

いろんな死生観があり、いずれをもつとも「自由である」ことでしょう。まあ、こうしたいのちと死と復活の視点もあるということです。変わっていますね、キリスト教って。

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