我儘(わがまま)を探す旅の始まり

我儘の「儘」ってなんだろう?

以下、三省堂 大辞林より抜粋

儘(まま)

・成り行きに従うこと。他のものに任せ従うこと。

・成り行きにまかせて、結果に頓着しないこと。どうなってもよいこと。

・元のとおりで変えてないこと。


僕と親父はある意味正反対な性格で、

僕は自他ともに認める「気ぃ使い」。

親父は自他ともに認める「我儘」。(いや、親父は認めないかもしれない。)

僕は、極力他人に優しい人でありたい、と思ってきたし、今もそう思っている。ただ、その反面、「周りの目」が気になりすぎる所があった。

しかし、自分が仕事で体調を崩したのをきっかけに、ちょっとその生き方を見つめ直すようになってきた。

いつの頃からか、自分の生き方や指針、あるいは自分に対する評価や自信に至まで、「他人任せ」になっていたのではないか、と思ったからだ。

自分がやりたい仕事をするためには、実績を出して偉くならねばならないし、家族を養っていく為にも、会社の中で信用を得て実績を出していかねばならない、と考えていた。

それで上司や会社に媚びていたのか、といえばそうなんだろう。

ただ僕は、基本的に僕の周りにいる人たちがみんな好きだ。勿論、時折嫌な思いをすることはあるが、憎めない魅力がある人たちばかりで、何より自分がその人たちと一緒にいることで、「この会社で」成長できると感じていた。

でも、やはりそこには、ずっと「小さな違和感」があった。

結局それがストレスとなって溜まり、爆発した結果会社を休んだ。自分自身の生き方の主導権を他人に握らせたまま走ってきた結果だったんだろう。

勿論、直接的な原因は長時間労働による「過労」だったのだが、

結局「過労」となった原因も、「自分の生き方」を他人に握られてしまっていたからなんだろう。

まさに、「我儘な生き方」ならぬ、「他人の意の儘な生き方」だ。

「もう少し、我儘に生きたっていいのではないか?」

そう思った時、すぐに親父が頭に浮かんだ。

何せ、「我儘な生き方」に関しては、この道70年の大ベテランである。

あんなに「我儘」な生き方をしてきたのに、何故あの人はあんなに人から好かれて、頼られ、いつも笑って過ごしているのだろう?

今回、改めて親父から改めて話を聞き直して、彼のこれまでの人生からそのヒントを探ることにしてみた。

(続く)




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