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ある藤原家の食卓

古賀コン4テーマ「記憶にございません」
(※一時間で書くこと)


              こい瀬 伊音

 資源ごみの分別をしていたら、まだパッケージから出されていないままのお守りが出てきた。高貴な紫色の地に若草色で縫いとってある文字は「合格御守」。
「えええっ初詣のとき買ってあげたお守り、そのままぽいっと捨てたの? だから神様に見放されたんじゃ……あきれられたんじゃないの?」
 やいやい言う妻に、俯いたまま知らねーおぼえてねーと息子。いやまぁ二ヶ月前のことだから、覚えてないのはしょうがないよな、と宥めるように声をかけると、呑気なこと言ってないでよ! と鋭く切り返される。目を合わせない息子、今更どうしようもないことを繰り返す妻。
「この後どうしたいとかの、考えはあるのか」
 やる気もないまま浪人して、家庭内にこんな空気をあと一年ひっぱるのなんかうんざりだ。そもそもの目標設定はこれであっているのか、見直しが必要なんじゃないか。
「いかにもサラリーマンみたいなこと言わないでよ」
 妻が吐き捨てるように言う。
「あのなぁ、おれたちの世代でサラリーマンやってるっていうのはだなあ」
「あーわかったわかった! 超氷河期で大変だったって言いたいんでしょ。学歴あるからなんとかなったんだって自分でも言ってたじゃない。息子にもおんなじくらいかもっといい学校行ってもらわなきゃでしょ、だから中高一貫の私立に入れたんじゃない」
 思い起こせばそうだ、妻が中受と騒ぎだしたとき、そんなもんかと思って頷いた。あれは八年前のことだ。
「忘れたの」
「いや、そうじゃないけど……」
 あれからコロナもあったし、映画の世界だったAIが現実になりどんどん進化して、世の中の変化は目まぐるしい。これから学歴がどうだとか言ってられるのはほんの一握りの超優秀層だけに限られてくるんじゃないか。こいつに、それほどの才があるのか。今までの価値観でやっていけるのか、いや、このままじゃおれ自身が定年までいけるのかもあやういのではないか。
 息子がこっちを見てくる。妻がだからなんなの、という顔をする。だから……だから……
「おれ、マイルドヤンキーでいい」
「はぁ!? なんのために私立いかせたの、予備校通ったの!?」
 妻の顔中から感情が吹き出す。ああ、これは一番嫌な展開だ。その長々とした涙が、おれにとっては一番の苦痛だ。だから距離をいいことに向き合おうとしてこなかった。母の涙は息子にとってもたまらないだろう。でも、その目標設定は、もしかしてもしかすると今やとても現実的なのではないか。おれ自身もやもやしている生き方を押し付けていいのか。大鉈を振るう判断を、迫られているのではないか。
「おれたち、社会のいうとおりいい学校行っていい会社って思って生きてきたけど、転勤転勤で単身赴任して、やっとの思いで本社に戻って、それで納得のいくしあわせな人生が送れてるかっていうとけしてそうではなくて」
 妻の目が涙と殺意で日本刀を翻したかのように光る。
「だからいい学歴とかいい会社とかって没落寸前の貴族なんじゃないの」   
 は? 
 やばい、勇敢が過ぎることを蛮勇と言うんだぞ。妻の表情をちらりと伺うと、言いたいことがあるならいってみなさいよ、の表情。権力勾配はある。家庭内パワハラすれすれじゃないか。
「学校にはいつもいつもすごいやつがいて、それが何人もいて、実家も太くて、ああいうやつらがきっと社会のうえのほうを回していくんだっていうのが見えた。あいつらに比べたらおれなんかFランとさして変わんなくて、同じ貴族の藤原でも下級官吏にしかなれなくて、ああいうやつらがどうせ左大臣だの右大臣でそいつらにすり寄っておこぼれをちょうだいするしかない、父さんの生き方がそれだろ」
 わ。いきなりの平安大河かぶれ野郎におれはディスられている。
「父さんみたいに実入りの少ない下級貴族として都にしがみつくより、地頭(じとう)にでもなって実利を稼ぐほうがいいんだ。武士の台頭は止められない時代の流れなんだから、これからは宮仕えよりマイルドヤンキーの時代なんだよ」
 幸せの基準みたいなものが、ここ数年で大きく変わったとは思っていた。一度テレワークに身を浸した後、郊外からぎゅうぎゅうの通勤快速に乗って本社に出勤する自分をかっこいいものと認識し鼓舞し続けることが難しくなってはいる。
「がんばってるお父さんに向かってなんてこと言うの」
 妻が力なく反論する。ああ、でも、没落貴族なのは本当かもしれないと納得しかかっている。妻も、去年から大河に沼っているのだ。平安末期の息吹きを、容易に想像し得たようだ。平氏をすっ飛ばして。
 おれは自分の都落ちをよしとはしない。痩せても枯れてもフジワラである矜持がある。でも、次世代の息子には別の人生がある。そういう道をいくというなら、歩いてみればいいだろう。
「で、その地頭になっていくには、具体的にはどうするんだ」
「あ、そこは待って、記憶にない」
 

 

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