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欲望のかたち

こんばんは、こいぬちゃんです。

最近はXのアカウントを公開に戻して、画像だけ鍵アカウントを別に用意して分離するチャレンジを始めました。見てもいいよ!って方だけ見てくれればそれで。基本は文字でやっていこうと思います。


さて、最近のお洋服やファッションについての悩みは欲望の底が知れないこと。
よく自問自答界隈では、本当に好きなものを手に入れたら心の底から満足して、当分新しいものが必要なくなった、と思えたとか、一つのものを味わい尽くすのに年単位で時間がかかる、とか、そんな話を耳にします。

自分の持ち物をとことん愛し、全力で愛でる。
本当はそうなりたい、でもこいぬにはなんだか少し難しいようなのです。もちろん人には人の自問自答。わかっておりますし、尊重しております。
問題は自分のこと。

こいぬは何かを手に入れるとその瞬間に心が次のものを探しに飛び立ってしまうのです。例えば先日、とっても可愛い鱗模様のトートバッグを手にいれました。素敵な旅行の記念に、そして日本国内ではなかなか出会えない大きさのアイテムで、半年以上ずっといいなと憧れ続けたアイテムです。

このこに出会えたことは僥倖で、大好きです。なかなかこんな癖の強い柄を自分のものとして持てる人も多くないんじゃないかな、みたいなことをふんわり考えて、こっそりうふふと悦に入ったりもします。

でもね、欲しかったアイテムを手に入れた次の瞬間、別のかばんのことを考え始めた自分がいることに気づいてぞっとしたのです。
かばんが好き、たくさん欲しい。その気持ちは自分でも認めています。でも流石に早くない?

もちろんその鞄を手に取って出かけるときの高揚感は変わりません。こんな素敵なこをファミリーに迎えることができて本当に嬉しいし最高だし幸せ。ミッションも頑張った甲斐があるってもんです。だけどそれと同じ質量で、次のお迎えのことを思い描き始めている自分がいたことに気づき、驚き、衝撃を受け、がっかりしてしまったのです。

この理由を把握しないと、きっとこれからも同じ気持ちになるでしょう。そのことに気づいて一念発起、自分の気持ちの自問自答をしてみることにしました。
あきやさん流に言えばPDCAのP、妄想とその掘り下げでしょうか。

わたしは自分の人生において、自分の感情に大きな興味があります。
何をどう使った時に心が動くか。お金ならどのように使ったら感動の値を最大化できるか。それを大事にするフェーズに入りました。できれば自分の体験を、お買い物をしたり、何かを手に入れたりするという体験を、楽しい思い出や経験に変えていきたいのです。

今のままでは、買うことそのものの快楽を追い求める人生になりかねません。いえ、すでにその片鱗はあるのです、自覚しています。スタッフさんが感じがいいから成績になるならここで買おうかなとか。買う時の興奮を求めるとか。それを繰り返し味わいたいとか。

でもほんとは自分が選んだものを大事にする。たくさん使って愛でる。自分がどんな人間であるかを表すアイテムを厳選して身につける。本当はそう言う向き合い方をしたいのです。
この気持ちをお買い物で実現するために、物との向き合い方を、自分の欲望の形をあらわにしないといけないタイミングがやってきました。

さて、今手持ちのバッグを全て出してみたら、20個ほどありました。
どれもとても素敵です。全てに等しく物語があります。そうでないものは手放したので厳選されたアイテムたちのはずです。でもたくさんあるので単純計算で一年にひとつを18回しか使えません。
それってすっごく少ない。それなのになぜまだ欲しいの?欲しくなっちゃうの?
自分の欲望の底しれなさに寒気がします。この訳のわからない恐ろしさをなんとか解きほぐしたい。


ではここからは思考の実験のタイミングです。
仮説を立ててみました。

仮説1
わたしは自分の存在を武装する手段として持ち物をどんどんアップデートし続けたいのでは?

この要素はあるとは思っています。
しかし、正直いって、今ほぼ全てのアイテム、特にかばんでは、それぞれの用途におけるベストが揃ってきているのです。ちいさいの、中くらいの、おっきいの。背負うやつ、肩にかけるの、斜めにするの。どれも自分の中の一軍と二軍がはっきり出来上がっています。よそゆきとデイリーと。今の気分にも、時代やトレンドにも則していると思うのです。
装備はもう完璧なはず。こんなにあるのになぜまだ欲しいの?満ち足りているはずなのになぜ欲しいの?刺激を求めているんでしょうか。それとも暇なんでしょうか。


仮説2
一年に使ってもいい金額が制限されていないため、自由度が高すぎてブレーキが効かないのでは?

これも正直あると思っています。
収入の形態がサラリー制ではないので、金額に自制が効きにくいのです。かといってじゃあなんとなく、や年齢から予測できる一般的な予算を立てて金額を制限することからわたしの望む類の喜びが生まれるとはあまり考えられません。今持っているお金、使えるお金から最大の経験値と喜びを生み出したいのです。金額を制限してしまえば、その大きさに収まってしまいます。もっと大きなものを得られる可能性があるのに。
ではどうすれば?
わかんない。


仮説3
目新しさを追いかけているのでは?

視界に入るものがいつも同じだとマンネリ感を感じやすいタイプではあります。
また同じ行動をパターン的に繰り返すのも得意ではありません。単純作業の話ではなく、もっと大きい枠組みの話。バリエーションが欲しい。やっぱりあらゆる部分で刺激が必要なひとなのかな?鞄だけでなく、お洋服もそれなりに数がある方がハッピーなタイプだ、というのは自覚しているのですが、鞄はね。同じ感覚で考えるにはちょっと額が大きすぎるんですよね。あと数が欲しいはともかくとして、買った瞬間次の物に意識がいくのって変だよね。
あと成長至上主義みたいなところあって、たとえば引っ越しを繰り返しているけれどハウスラダーしてるし、前よりも良いものを、と思いがちなところがある。
その二つが相まって入手した、イコール一つのステージをクリアした!よし次のハードルを設定するぞ、新たなチャレンジを乗り越えよう!みたいな謎のベンチャーマインドが溢れ出ているのだろうか…これはちょっとありそうな気がする…でもそれならがっかりはしないよな…なんなんだ…?


…完全に行き止まりになってしまいました。
ぜーんぜん考えがまとまらないし問題の核心を掴める気配がない。

ということで、これはどうしようもないのでしばらく時間をかけてゆっくり考えることにします。というかこのnote自体書いたのは3ヶ月前なんですが、どうにもここから筆が進まず寝かせていたのです。が、当分結論が出なさそうなのでこのまま放流することにします。
完成度よりもアウトプットする、という行為の方を重視することにする。

ちゃんと形にならないのはモヤモヤするけど、noteを書いてお商売をしているわけでもなし、自分の心の整理のための記録なのでこういうのも時にはいいでしょう。
暫定一位を決めることが大事、って話があったけど、暫定状態をキープしておくのもまた一興かなって。また何か考えが変わることがあったり気づきがあった時に続きを書こうと思います。
自分のことなのにわかんないことがあるって、人間って面白いですね。
底知れないところもまた面白い。
すっきりしたいけどふんわりさせたまま置いておくのも新しい試みで面白い。
不思議なきもち。

ではではまたね🐾

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