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決意 2022年12月26日

12/26

冬休み後にある、1週間の休みはマレーシアを旅しようと思う。けど、思いつきなのでどうやって実現しよう。あたし、イヴとエビリンに会いたくてインドネシアにしようかと思ったけれども、マレーシアの事もっと知りたいや。タイでの生活をしてみて気づいたんだけど、実際に現地の人と一緒になって生活してみないと見えてこないものばかりだよね。マレーシアにちょっと飽き飽きしている自分がいると前に綴ったけれども、これがその一つの原因思う。私はマレーシアを知ってるようで何にも知らない。発展している都市部に住んで、マレーシアのこと知った気になってるけど、それは表面的でしかなくて。バンコクを例にすると、あんなに綺麗でビルも素敵でモールもたくさんで日本と変わらない。けどそんなバンコクを持つタイだけれども、田舎に行ってみるとそんなことない。せっかくマレーシアに住んでいるんだから、もっとマレーシアのこと知りたいや。マレーシアの田舎に行きたい。新しい刺激なら旅行で十分だけど、そうではなく留学しにきてるんだから、留学している意味を考えねば。

タイでの発見

・人と人が繋がってる。1人では生きていけない社会。
→庭でご飯を食べてると、次から次へと何かしらのご飯を持ったお隣さんが来て、食事に加わる。気づいたら小さなパーティが始まってる。
→ちょっと市場に行ったり、ちょっとすれ違っただけで「サワディッカー」の声をはじめに、小さなおしゃべりが始まる。何を話してるのかよくわからないけど、知らない人だろうが知ってる人だろうがみんな挨拶し合う。東京でこんなことしてたらきっと怪訝がられるんだろうな。けど、町中が知り合いだから、市場を歩くもんなら常にサワディッカーしなきゃだから大変だろうな。

・タンブンって文化
→タイでは輪廻転生が信じられており、現世で“徳”を積むことにより来世で幸せになれると信じられています。徳を積むことを“タンブン”と呼びます。
→市場を歩いてると、片隅の方で誰からも注目されることのない地べたに座った物売りの人が。そんな人を見て母が、「買おっか」って。私は、「いらない物を買うなんて、お金の無駄だし、意味ないじゃん。やめようよ。」って言ったけどそんな私に対して、「みんな買ってあげないからかわいそう。もし買ってあげたら嬉しいでしょ。みんなハッピーよ」って。母にとってはそのお金は無駄遣いなんじゃなくて、ハッピーをあげられるから価値があるんだと。
→市場のお祭りで射的をした時、お店が忙しくお金を払い忘れてしまった。その事実に気づいた時には、帰り道で市場から遠く払いに行くには不可能だった。それに対して1番に出てきた言葉が、「ラッキー」。けれども、母は「ラッキーじゃないよ、可哀想でしょ。一生懸命働いてるのにお金なかったら暮らすの大変でしょ、明日返しに行こう」って。私って「お金>人の幸せ」と考えてしまうくらい、いつからこんなに心が汚れてしまったんだろう。上の出来事以外の大通りの中学生の物乞いに物を買ってる時もや美味しくないお菓子を買ってたり全部、素直に助けたいなんて思えなかった。微かな記憶だけど、小さい頃に訪れたバンコクで見かけた物乞いに対して私は自らの意思でお金を渡していた。確かに、昔のあたしは目の前のことをお金で判断することなんてなかったと思う。気づいたら汚れていた。そして、射的の話に戻るけど、私が射的をして楽しいと思った裏にはお店の人が(多分私よりも若いんだろうな)一生懸命働いるんだよね。それなのにお金を払わないなんて、それって詐欺と同じじゃん。なんで一番にラッキーなんて思ってしまったんだろう。
→東京での暮らしって人との繋がりが全て排除されてしまって、自分から見ようとしない限りわからない。スーパーだって、綺麗なトイレだって、みんなみんな誰かが代わりにやってくれているんだよね。お腹が空いたらコンビニに行けば何かしら買えるし、数分おきには電車が来るし、街は綺麗に整備されているし、そんな困ることなく生きていける背景には多くの人が動いてくれてるからなんだよね。マレーシアでの暮らしが充実してるのもそう。便利すぎて、その便利に慣れすぎてしまっている自分がいて、そんな当たり前なことなのに、忘れてしまっていた。人と人とが繋がってるからこそ、「ありがとう」を大切にできる人になりたいな。
→ありがとうって日本語だと、「有難い」と漢字で書いて、「目の前は当たり前ではなく、あることが難しい。そんなあることが難しいものがあるんだから、感謝しよう」というのが由来。
→英語のthank you というのは、thankというのはthink と同じ語源らしく、「あなたのことを思っている」つまり、「あなたからのご恩(親切)を忘れていませんよ」という意味らしい。

人に感謝できる、日常に感謝できるそんな人になりたい。そして、空や自然・鳥の歌声、みんなとのお喋り、そんな他愛のない日常に感謝できる環境で生きていたい。

・なんでタイには野犬が多いのか?
それは、タイが仏教の国だから。仏教には「命あるものを殺してはいけない」という不殺生の考えがあるから。そんな考えがあるため、タイにはお寺に犬を置いていく習慣がある。お寺側は、教えを守るために犬を殺すことができない。

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