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もう少しだけ100%モラトリアムenjoyイェイfeat. こんなにピアスって痛いの?


みんなが前に進んでるのを見て、自分にも誇れる何かを身に向けないとと内心ではわかっているものの、やっぱりぐーたらする日々は最高なわけで。深夜にダメと分かっていながらも、脂肪の塊である炭水化物を食べる時の背徳感と同じ感覚。寝る前に「あー今絶対寝るべきなんだよな。明日に絶対響くなーウチの脳めちゃくちゃ溶けてるな」と表面上では理解しながらも、SNSの徘徊をしてる時もそう。

時間だけどんどん過ぎて言って、焦燥感だけが積もる自分。そんな自分を騙して誤魔化して何もなかったかのようにするんだ。「明日が怖い、大人になんてなりたくない!」って叫ぶことしかできない。

「明日は休んでもいいですか?」
「吐き出す場所をください」
「特技は現実逃避です」
「先生!SNSのせいで脳は麻痺しました、すみませんが考えられません」
「鏡に映った自分でさえ信じられない時代です」
「自己犠牲という名の優しさなんていらねーよ」
「あの、、天才でもないのですが、凡人にもなれませんでした」

「みんな待ってよ!」
「みんな待ってよ!」
「みんな待ってよ!」
そんなことを言ってたら、気づいたら朝になってる。このやり取りは何度目?

周りと比べる行為は自分と相手を天秤に並べて、勝手に優劣をつける行為であり、自分を相手よりも上に位置付けるならば「優越感」という感情に変わり、下に位置付けるならば「劣等感」になる。けどまあ、結局これらって人間の本能が働いて自己を守ろうとしてるにすぎないんだよな。「大丈夫、自分はこの人よりは上にいる」「この人は自分とは違う世界線に生きてるから自分ができなくても仕方ない」って

しかし全く無意味であるにも関わらずやってしまうよね。なんでこんなに人間って分かっててもやってしまうんだろう、まあそれほど弱い生き物なんだよな。なんか愛おしい、人間のダメダメなところに愛らしさを感じてしまう。だけど、ここに愛らしさを感じてしまうと、自分の怠惰な性格を肯定し促進させることになってしまうから、一旦その感情を閉じ込めよう。バイバーイ👋

みんな何か誇れるものを持ってて、それはその人らしさを構成する一部となってて、けれどもその一方で自分を省みると何にもなくて、あーあ自分ってなんでこう駄目なんだろうと嫌になる

小さい頃に見ていた少女アニメのように、なんの取り柄のないただの主人公が、ある日突然才能を開花させ夢に向かって猪突猛進let's go!なんてのは所詮おとぎ話に過ぎなくて、現実とは違う。現実は、暗中模索しながら目の前に見える薄暗い光をどうにか辿って行ってる。そして、いつかを境に、進んできた道を振り返るとそれは一本の道になっていて、つまりそれが自分の構成要素となって、今の自分の支えになる。

だからやる前からコレがやりたい!なんて明確に言える人なんて、星の数ほどいるわけなくてみんな何者かになりたくて苦労してるんだよ

自分らしさなんて探すものじゃなくて、もう元からあるものなんだよっていうけど、社会で求められてる自分らしさと、自分が求める自分らしさって種類が違うよな。前者はスキル、つまり仕事に活かせる能力のことを指して。後者は性格、つまりどのような人間であるか、例えばコミュニケーション能力に長けてるとかそんな感じ

まあ何が言いたいかって、やらなければならないのにそこから逃げてダラダラするこの「背徳感」に快楽を覚えてしまっている自分が嫌になる

けど忘れないで!生きてるだけで偉くて優勝なんだからね!

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