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「みんなのフォトギャラリー」に画像を提供して思うこと | 金曜日のひとりごと

noteで忘れたころにぽつっと届く「〇〇さんが、〇〇であなたの画像を使用しました」という通知。

みんなのフォトギャラリー」にわたしが提供した画像を、誰かが投稿で使ってくれたというお知らせだ。

わたしは現在、18枚の画像を「みんなのフォトギャラリー」に提供している。

90以上のnoteで使われた画像もあるし、まったく使われたことのない画像もある。

もしかしたら、これらの画像を使った投稿を見たことがあるという人もいるかもしれません

たまたま、noteで記事を見ていてわたしが「みんなのフォトギャラリー」にあげた画像を使用した投稿にであうことがある。そんな時はちょっと嬉しいような恥ずかしいような気持ちになってみたりする。

わたし自身も、「みんなのフォトギャラリー」はよく利用している。

自分が書きたい内容を視覚的に表現してくれているものを選ぶ時もあるし、逆に「みんなのフォトギャラリー」にある画像がきっかけで、何かを書きたいと思う時もある。

文字と画像は不思議な関係にあるものだなあとつくづく感じている。

わたしが「みんなのフォトギャラリー」に提供した画像を使った投稿も実にさまざまな内容がある。

同じ画像なのに全く正反対の意見が書かれている記事もある。タイトルを眺めているだけでもおもしろいと思う。

しかし過去には、人種差別をする記事に画像を使われたことがあり、ショックで画像の提供をやめたこともあった。自分の撮った写真がそういった声を上げるきっかけになるというのを想像できていなかったのだ。

今では、記事ごとに「みんなのフォトギャラリー」に提供した画像の利用を停止することができるようになっている。

これによって、安心して「みんなのフォトギャラリー」に画像を提供できるようになったなあとほっとした。

自分の名前がつくものが、どういう使われ方をするのか。その全てを確認することはできないけれど、自分が世の中に送り出したものへの思い入れや責任みたいなものを感じるようになった気がする。

新聞記者の経験もある自分としては、いろいろな意見があるのは当たり前のことだと感じている。でも自分が提供したものが意図せず、誰かが誰かを傷つけるきっかけになってしまうことは避けたいと思った。

特別にハッピーなことがあった日を
なんでもない1日を
ちょっと悲しいことや辛いことがあった日を

振り返りたいときにそっと寄り添えるような写真であれたらいいなと、18枚の画像に願いを込めている。

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