文章を書くのはゲームをするよりも面白くはない

 事実は事実として認めることから始める。こうして日記を書いている時とゲームをプレイしている時では、どちらが楽しいかと聞かれたら確実にゲームをプレイしている瞬間だ。日記を毎日書いているが、日記を書きたい日よりも書くのがダルい日の方が格段に多い。一方で、ハマっているゲームは今すぐにでもやりたいし、睡眠を圧してプレイしてしまう。

 ここで認めなければならない。文章を書くのはゲームをするよりも面白くないことを。それならなぜ自分の貴重な時間を使ってまで日記を書いているのか。面白くないのであればずっとゲームをプレイしていればいいじゃないか。そう疑問に思う人もいるだろうし、自分も疑問に思っている。なぜ日記を書いているのか。

 いま現在の答えは、絶対的な面白さではゲームには敵わないが、日記にはニッチな面白さがあるから、になるだろうか。

 珍味みたいなものだ。油の乗ったトロは圧倒的に美味しいけども、ノドグロの需要だって無くならない。それと同じことだ。日記には日記の面白さがあり、ゲームの方が圧倒的に面白いからと言って日記を書かない理由にはならない。

 今の自分が持っている趣味なんて大したものはない。ゲーム、アニメ、読書、散歩、日記くらいなものだ。典型的なインドア無気力人間が持つ趣味のラインナップである。1つのものに集中して消費しているとすぐに飽きるので、飽きてきたタイミングでグルグルとやることを変えていく。ゲームばかりやっていると、ゲームをしていることに飽きる瞬間が来るのだ。

 個人的に思うのだが、この飽きる瞬間ってのは新しいことをやり始めるチャンスなのかもしれない。ゲームは大抵の人がやっていて楽しいものであるはずなのに、そのゲームが持つ面白さに飽きてしまう。この瞬間であれば新しい面白さを他の新しい分野の中に見出せるかもしれない。ゲームに飽きることがあるからこそ日記みたいな趣味を始めることができる。逆に、飽きるほどゲームをやっていなかったら一生ゲームに飽きないので、日記を書くことはないかもしれない。飽きる瞬間がチャンスというのはそういうことだ。

 日記に飽きたらどうしよう、とは思いつつも、日記を書くのはタイトル通りほとんど面白くないので、逆に飽きないのかもしれない。常にほぼ面白くないので飽きるという概念が無いのだ。最初から飽きているまである。顎が疲れるまで咀嚼しないと味がしないのだ。逆にゲームは舐めているだけで色んな味を提供してくれる飴玉みたいなものだ。どちらが良いということでも無い。世の中には様々な味があるというに過ぎない。

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