昔楽しかったことが今楽しいとは限らない

 昔の記憶に従って行動してもそれが面白いとは限らない。悲しいけれども、こういう時に新しい趣味を探さないといけないなと感じる。いまはラーメンを美味しく食べられているけれども、あと数年もしたら脂っこいものは受け付けなくなるのかもしれない。それと同じだ。若い頃の趣味がそのままおっさんになっても楽しめる訳ではない、というのは恐ろしい事実だ。

 その点において読書は大分良い線をついている。若くても歳を取っても楽しめる。だが、読書ですら老眼やら何やらで楽しめなくなる可能性があると考えると恐ろしい。

 でもまあ、アレだ。何か一つが楽しめなくなったら新しく何か趣味を探し求めれば良い。自分だって以前は料理になんて一ミリも興味が無かった。別に自分で作らなくても外食すれば美味しいものが食べられる。自炊なんて物好きがするもんだろ、と思っていたけども、いまは自炊がしたくてたまらないから不思議だ。

 アニメとかはまだ楽しめる。これもかなり注意して現実の諸問題を丁寧に片付けた後じゃないと難しいが。ちょっとでも何か片付けないといけない仕事があるとアニメは楽しめない。何かを十全に楽しむには心の余裕が必要となる。

 色々と考えてみるけども、釣りと自炊ができれば生活はかなり御の字なのではないかと思う。釣りと自炊ができるだけの時間的、精神的余裕があるからだ。それ以外の趣味もたくさんあるけども、それらも流れるように楽しめるようになるだろう。

 煙草は良い線をいっていた。健康被害があったり、東京では吸える場所が無くなったり、喫煙所の閉鎖されたファミレスで作業しているときに喫煙欲が湧いてきたりしなければ禁煙はしていなかっただろう。金はかかるとはいえ、他の趣味であっても金はかかる。趣味の一つとしては良かったが外的要因で出来なくなったものだと言える。

 兎にも角にも、言いたいことがとっ散らかっているが、自分の感じ方に注意を払って趣味は適切に選んでいきたい。過去に執着していると新しく発生している面白いことに気づけなくなってしまいかねない。楽しめることは楽しめる内に楽しんでおきたいし、やりたいこともやりたいうちにやっておきたい。日常は日常のまま流れていくが、少しでも彩りが加わっていればそれで良い。気づきを得ながら日々を過ごしていこう。

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