祝・書くことが無くなった

 ついに書くことがなくなった。やったー!! 毎日のように日記を書いてきて、書くことの無くなる日がやってきてしまった。およそ30日とちょっと、何を書こうと思っても過去に書いたことの焼き直しになってしまう。言いたいことは全て尽きたと言って良い。

 頭空っぽの方が夢詰め込める。有名なフレーズである。世界に大して発信したいことがあるよりは、無い方が新しい情報を入れやすい。今の自分であればどんなモノでも貪欲に吸収できる気がする。なぜなら世界に対して何も言うべきことがなくなった、つまり不満が無いからだ。

 実際にはある。不満はある。「禁煙つれー」とか「在宅勤務できねー」とかがある。あるけれども、それらはどれも過去の日記でさんざん書き尽くした。書いてないことがあれば喜々として書いているはずだ。日記を毎日書いていると、ネタになることがあればなんだって嬉しい。たとえそれが愚痴や不満であっても。ほぼ言い尽くした。もはや自分には何も残っていない。何も……

 それでもまだまだ日記を書いていく必要がある。愚痴や不満や意見が生まれたときにそれを消化できる場は必要だからだ。日記なんてものは書いている状態の方が特殊だ。一度でも書かなくなってしまったら、強烈な不満が生まれたとしてもそれを日記として書くことはできなくなってしまう。だからこそ、何も書くことがなかったとしても、こうして日記を書く習慣だけは続けていると長期的には生活の質が良くなるのだ。

 考えてみれば、日記に書くことがないというのも、それは幸せの一つなのではないだろうか? 日々イベントが起こっていたら気づかれしてしまう。今日も平穏に1日が終わり、そして明日がやってくる。固執している不満もなければ、特別嬉しい出来事も無い。ご飯はウマいし日記は書ける。これが幸せでなかったとしたらなんなのか?

 まあでも、平穏な日常を過ごしていると刺激が欲しくなってくるのも事実だ。今はその辺りを主にゲームで補充しているが、ゲーム以外でも刺激が補充できるようになりたいものだ。日常における刺激(ストレス)を減らし、自分の好きなものから刺激を得るようにしたい。

 話が逸れた。日記に書くことが無くなったいま、自分は完全に自由だ。どんな感情にも縛られることなく自由に書きたいことが書ける。一般に日記が長く続かないのはこの自由が恐ろしくなるからかもしれない。自由さに耐えるだけの体力と精神力を日記を通して身につけていこう。

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