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お城へ To Go (大洲城)

 層塔型の四重天守、大洲城(82・愛媛)です。押印は平成22年12月10日、宇和島城へ行く前に訪問しました。藤堂高虎の築城で考えると、宇和島、大洲、今治となります。築城年を逆行する形で、連続訪問しています。

 宇都宮氏による地藏ヶ嶽城が、その前身といわれ、秀吉の四国平定により小早川隆景が入城します。以後、戸田、藤堂、脇坂、加藤と城主が変遷し、脇坂の時代に大津城から「大洲城」へと名称の変更があったようです。
 藤堂高虎は、板島丸串城に城代をおき、大洲城を居城としました。以後、今治城の普請を開始してからは、藤堂高吉を城代としてこの大洲に入れ、このころから城下町の整備が進んだといいます。以後、脇坂を経て加藤氏の治世で明治維新を迎えます。

 大洲城は、藩校明倫堂跡にある駐車場からスタートし、本丸へ向かって上がっていきます。町割りは今も当時を踏襲しているようなのですが、道幅も狭く、運転しずらい街中でした。
 現在の天守は、2004年に木造復元されたもので、四重天守を忠実に再現したものといわれます。復元前には、櫓二つは残っていあたのですが、さすがにそれだけですと当時の写真からも天守の迫力は全く伝わりません。
 この二つの櫓をつなぐ形での天守は何としても復元したかったという気持ちはよくわかります。本丸から城下町が一望でき、その背後には肱川が流れ、当時の大きな堀があれば一山が、水にぐるりと囲まれた形になります。
 小さな城下町なのですが、当時の繁栄を誇りに思う気持ちが強く伝わるお城でした。

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配信元:裏辺研究所

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