「こいつは特別な奴」アピールについて
どうも、「今年は特別な夏」だそうで、タイトルで文字ってみたがわかりにくいなとタイトルをつけてから思ったw
暑いですね所長です。
最近は恋のはじまりよりも恋愛と宗教、哲学の関係について考えていきたいと思っています。
付き合っている人の両方が同じコミュニティーにいるとき、私は少なからず気を遣っていましたし、なんだか不快感があったことがあります。
私が違和感や不快感を感じたパターンとそれから出た問いを記しておこうと思う。
彼氏主催のイベントに彼氏を遅刻させる彼女
あるイベントに参加した時のこと。
ある団体の問題について皆の知恵を拝借したいという趣旨でその団体のオーナーが主催していた。
だがそのオーナーが遅刻。
理由は彼女が怒ってデートが長引いたから。
しかもその彼女もそのイベントの参加者だったのだ。
そのイベントの客10人くらいで30分くらい待っていたが結局帰ってこなかったので、別の人が代理で始めることに。
他人の時間をなんだと思っているのか、身内だから許してくれると思ったのか、とにかく私には理解不能な行動だった。
結局1時間半後くらいにカップル揃って何事もなかったようにやってきて参加した。
ああ、カップルだからといってパートナーの社会的信用を落とす行為をしてはいけないなと思った。
それともカップルというものは1時間半の逆算もできないほど頭が狂ってしまうものだろうか・・・
ちなみにこのカップル、2人とも予定を忘れていたとかではなかったっぽいとだけ言っておく。
「気を遣わないで」と言いながら飲み会で報告するカップル
時を戻そう、大学時代。
私はダンスサークルに所属していた。
ある飲み会で「俺と〜ちゃんが付き合うことになりました」という報告が本人からあった。
本人たちは「気を遣わんといてなー」と言っていた。
でも報告された方としては気を遣わなければならないし、気を遣うよう言われているような気がした。
気をつかわないでというならば報告しなければいいのにとも思った。
実際、私はそのサークルで振り付けを担当していて、その振り付け班には2組のカップルがいた。
知るという行為は不可逆だ。
「付き合っている」というのを知らなければ何も気を遣わなくてよかったのだろうが、知ってしまったらそうはいかない。
結婚だけではなく、「お付き合い」というものにも「公共性」が発生するものなのだと思った。
具体的にいうと、「付き合っている」と知っている限り、その二人の仲はそれ以上触れてはいけない、知ってはいけない、そんな気がして、その話題はあまり話さないようにした。
そして、私はなんでこんなに気を遣っているのだろうと思うと同時にどういう気の使い方がいいのかわからない自分がすごく嫌だった。
付き合っている段階で「俺/私にとってこの人は特別だ」を他人に見せつることは結局なんなのか?
この2つのエピソードから言えるのは「俺/私にとってこいつは恋愛関係で特別」と思っていることを他人に見せつける行為だ。
「我々恋人なのだからみんな察してね」って言われているような気がしたし、そうすることでカップルがお互いを守っているような感じも見受けられた。その「察してね」感に違和感があったし、「察してしまった」私自身についてもキモチワルい感じがした。
そして、その俺/私にとってこいつは恋愛関係で特別」と思っていることを他人に見せつける行為は本当に必要なのだろうか?
それぞれ人間関係というものを持っていて、この人には話すけどこの人には話さないみたいに特別があるだろう。
結婚というのは制度上、誰が誰の配偶者なのかを可視化できるようにしておかなければ裁判などに発展しかねない。
したがって結婚式のように、他人に知らしめておく必要があるのはわかる。
だが「お付き合い」の段階でそれをしなくても、本人同士で感じられたら良いのではないかと思うし、それと同時に特別でない人の時間を奪っても平気な顔でいられるのはなんなのだろうと思った。
私に恋人ができたとしても報告する人は限られているし、共通の知り合いだったら少なくとも「パートナーと同じくらい大事にしたい」と思う人にしか言わないだろうなとも思ったし、実際そうしている。
パートナーも大切にしたいが、パートナーや自分がいる社会や社会的信用も大事にできる人になれたらいいなと思う。
そんな私もいろんな人を知らず知らずのうちに裏切ってきたのだろうとも思うので自戒を込めて・・・・。