見出し画像

あの頃の自分(中学生編)

こんにちは。前回の投稿に続き今回は中学生の時のお話をしていきたいと思います!
中学生の時の写真があまりなかったので文章多めになってしまいますが、お付き合いください🙇‍♂️

部活動の野球部ではなくクラブチームへ

前回の投稿でもお話しましたが、僕は小学生の頃一度もレギュラーになったことがない選手でした。
小学6年生の冬、中学校の野球部に入るのかそれとも硬式のクラブチームで野球をするのかと進路について考える頃のお話です。当時同じチームでプレーしていた選手たちは硬式のクラブチームへいくという子が少なく、中学校の野球部に入るという流れがほんとんどでした。ですが僕は父の知り合いの紹介で横浜の硬式のクラブチームを知りました。その硬式のクラブチームの名前は「横浜瀬谷ボーイズ」というチームでした。
横浜瀬谷ボーイズは神奈川のボーイズリーグでも有名で全国大会にいくようなチームです。またNPB(日本プロ野球)選手も多く輩出しているチームで、今現在活躍されているソフトバンクホークスの松本裕樹投手や2021年ドラフト会議でソフトバンクホークスから育成指名された三浦瑞樹投手がこの横浜瀬谷ボーイズ出身です。
 そんなチームに一度もレギュラーになったこともなく、野球自体も全くうまくない僕が入団するのもどうかと少しだけ思っていました。ですが中学校の野球部に入ったところでレギュラーになれるどころか試合に出してもらえるのかということも考え、父に伝えて体験会に参加することにしました。
 体験会では知っている人はもちろんいない中、硬式ボールを投げたり打ったりして硬式で野球をすることの楽しさを覚え、また地方の高校にも沢山の選手を送り出しているチームということもあり、横浜瀬谷ボーイズに入団を決めました。

入団して早々に驚きが山ほど

入団して2ヶ月ほどが経った頃、もともと右打ちだった僕はコーチの方に左で打ってみろと言われ、左打ちを練習しました。そこから僕は今でも左打ちとして野球をしています。正直今までにない変更でもあったので驚きました笑
 次に練習量のすごさ。これは本当に全国のどの中学生よりも練習をやっていた自信でしかないです。平日は学校が終わってからすぐ家に帰り自転車で30分〜40分ほど時間をかけてグラウンドに行き、夜終わるのは日付が変わる24〜25時ごろ。家に着くのは1番遅い日で26時というのもありました。土日は朝9時ごろから始めて夜は22時〜23時ごろに終わってました。
チームに入った当初はこんな練習量3年間続けていけるのかなと不安でしかありませんでした。笑
素振りの数を尋常じゃない数を振り1日一万回ほど超えることがほとんどでした。それはピッチャーも野手も関係なく行いランニングも海軍道路という3キロほどの距離をタイムで測って何本も走りました。
 このお話を聞いて嘘だろ?と思うかもしれませんが全てほんとのことです。

学業の方はどうだったか

この練習量で寝る時間も少ないのはもちろんで学業はどうだったのかお話します。
学業に関しては人それぞれでしたが正直いうと疎かになりがちでした。ただ監督、コーチは授業中寝ないこと・提出物はしっかり出し、遅れてもとにかく出すということチームに入った時にお話がありました。なのでとにかく僕はテストの点数は本当に酷かったです。けど授業中寝ないと言うことと提出物は出すということをやっていました。当たり前かもしれませんがあの練習量だと当たり前にできなくなるかと。。笑
その結果、成績は良くもなく悪くもなくザ普通という成績が3年間続けることができました。

ピッチャーとしての成長
そして1学年上の代に昇格してプレー

ピッチャーとしての考え方や意識などを身についてきたのはこの頃でした。小学生の頃は投球フォームなどはほとんど考えずにありのまま投げていました。横浜瀬谷ボーイズの監督はピッチャーの教え方がうまく、理解しやすい指導で自分の身体や感覚に非常にあった指導でした。練習量も多いので教えてもらったらその形ができる身体になっているのですぐに実践できてました。
 試合でも公式戦に出ることができ、エースにまではなれませんでしたが、中学3年生になった頃には3番手として投げたりと中学校の野球部では絶対に経験できないことをたくさん経験できました。
 また中学2年生の時、僕はAチームと言われる一学年上の代でプレーすることがありました。これもピッチャーではなく外野手で登録されていました。このことに関して本当に嬉しかったのと楽しくてしょうがなかったのを覚えています。笑
 これまで上の試合で出ることもなく、公式戦にすら出たこともなかったので驚きでしかありませんでしたが、自分が思っている以上に野球が上手くなっているんだなと自信になった中学時代でもありました。

最後に


今までの野球人生でこれほど濃い野球人生はないです。本当に毎日辛く怒られることをたくさんありすぎてここで語りきれない部分もあります。ただこの横浜瀬谷ボーイズというチームに入っていなかったら今の自分はないと思います。チームを選ぶのはこんなに重要なのかと、この中学時代で学びました。本当に辛かったですが環境に恵まれた中で野球をしていたなと常々思います。今でも年に1回ほど挨拶に行くたびに、自分のためになることが一つ二つ落ちていて救われたりもします。
 今回は写真があまりなく文章が長文すぎる投稿になってしまいましたが、中学生時代のことをお話しさせていただきました。
 ここまで読んでいただいた方、本当に感謝です。ありがとうございます!
 次回は高校生編をお話ししていこうと思います。ぜひお時間があれば読んでいただきたいです!
ありがとうございました🤲

小井手和宏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?