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自分史と相続

私は行政書士として、相続に関するお仕事を引き受けます。
その過程で家族が喧嘩状態になってしまうことを時々目の当たりにします。
きっかけは些細なことであることが多いです。大人になってからは、お互い大人の関係というか、適度な距離間で接している兄弟でも、子供の頃は仲が良かったんだろうと思います。
遺産分割協議の際に、誰かが案を提案します。その人なりに公平であると考えた案です。兄弟の久しぶりの真剣な対話かもしれません。
真剣に話した子供の頃に時間が戻ります。
ついつい、そんな気持ちではないのに、ストレートな物言いをしてしまうのです。
相手は、大人です。さらっと受け流してくれるといいのですが、子供の頃、やられたことが思い出されて、素直に受け止められなかったりします。
そういう気持ちで相手の提案を見てみると、どうも不公平なような気がしてきます。
そもそも遺産分割に公平などということはないのです。
不公平な点はないか、という目線で見ると、どんな案も不公平です。
親が亡くなったときの親との距離感もそれぞれ違います。親と同居もしくは近くに住んでいて、なんだかんだと交渉があった兄弟もいれば、遠方に住んでいて、ほとんど年に一回会うかどうかとい兄弟もいたかもしれません。
同居していた兄弟は最後の面倒を見た、と思うかもしれません。
遠方の兄弟は親に仕送りをしていたかもしれません。
同居の兄弟は、自分の収入と親の年金も含めて全体として生活費を使っていたかもしれません。
遠方の兄弟は、持ち家する時に親から相応の支援を得ていたかもしれません。同居の兄弟は、家の改築の際に多額の出費をしたかもしれません。ところが、相続財産としては、土地と家が大物で若干の預貯金があるがけだとしましょう。
資産としては、土地と家を引き継ぐ方が圧倒的に多くを引き継ぐのかもしれません。
こういう状況の時に、自分が損していないかな、という視点で遺産分割の案を見たら、大抵は不公平だという結論になってしまいます。
これに加えて、兄弟それぞれに都合があると思います。そこはそれぞれ相手のことはわかりませんので、ますます不公平だと感じられると思います。
軽い気持ちの声がけから、こんなことが次々出てきたりします。
この危機を耐えられるかどうか。
これは、実は兄弟の問題であると同時に親子の問題であると私は思います。

人は父母をどのようにとらえるのでしょうか。
懸命に生きる姿を見て父母の姿をとらえるのだと思います。
その姿を脳裏に鮮明にイメージできている場合、父母がなくなった後の資産も、父母が生きた証としてとらえられ、それを配分する際に、不満足なことがあっても、自制する気持ちが働きます。
そこのイメージが薄いと、相続財産は単に金銭として捕えられるになります。そうなると、極端に言えば一銭たりとも損はしたくない、という気持ちになります。

相続財産とくに庶民の相続財産については、均等に分配するということがそもそも難しい場合が多いです。
つまり、一般庶民の財産は、多くの場合、持ち家と若干の預貯金で構成されている場合が多いです。
機能的にも、金銭評価面でも持ち家を引き継ぐ方に厚くなってしまいます。
それをどう評価するのか、それはそれぞれの立場で違うけれど、そこを自制できるかどうか、ということは、ご両親の足跡をどう理解できるかにかかっているように感じます。

現在は、家族が近くに住んでいることも珍しくなってしまって、遠方にいるとお互いの状況はよくわからなくなっています。
父母の足跡どころではないですね。加えて、サラリーマンについていうと、父親が会社でどんなことをしているのかは、子供達にはわからないのです。よく言われることですが、父親のことは、帰ってきてからビールを飲みながらくつろいでいる姿しか記憶にない、ということになりかねません。

これを補うにはどうしらいいのか。
父母から子孫に語りかけることが必要だと思うのです。
何を語ればいいのか、どう語ればいいのか、
ここに二つ問題があります。
一つ目 往々にして、親子はある時期にぶつかります。私もそうでした。家庭内な重苦しい雰囲気になって、いただまれず、私は地方の大学に行きました。その後、転勤族になって、地方を転々としました。
たまに家に帰っても、数日、父親とテレビでも見ながらビールでも飲んでいれば、とりあえずは、仲のいい親子を演じられます。
そのような時に、父親の側からすると、今更何を話せばいいのか、ということになります。
ただ、時間がたって、子供み経験を積んでいます。高校生の頃の子供ではないのです。そこは思いきって、語り掛けてほしいのです。
では、何を語ればいいのか、まずは、ご本人が自分の人生と向き合い内省すること。そこから出てきたことを語ればいいのだと思います。
とはいえ、案外、これは難しいことです。どうしたら自分の人生と向き合えるのか。
一人で自分の人生を思い返すといっても、どうしらいいのか、どこに着目したらいいのか、難しいものです。
その時に、自分史の技法が役に立ちます。
自分史の技法を使って手始めに、人生の一コマから、回想すればいいのです。
自分史といっても、回顧録を書くのではありません。
書いてもいいのですが、それが目的ではありません。
内省すること、自分と向き合うための自分史です。

私の中で、相続と自分史とはつながっています。
今回はそのことについて書きました。

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