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言語教育をめぐるアフォリズム

言語教育をめぐるアフォリズム①
言語教育を考えるときに、個別言語(日本語)から考えをスタートしてはいけない。
言語から考えをスタートしてもいけない。
はるか遠く、言語活動からスタートしなければならない。
さらにその背景に、人間と人間の活動と現実を見据えなければならない。
しかし、言語、言葉を忘れてはならない。
なぜなら、わたしたちは言語教育という仕事をしているのだから。

言語教育をめぐるアフォリズム②
語や文型や文法事項などの有意味ユニティやその構成法を教えることはできる。
学習者もそれらを学ぶことができる。
しかし、そうして蓄えられた知識は、言語技量の基底を成す知識ではない。
そもそも、有意味ユニティは仮想的な実在である。
そして、学習者が学んでいるのは、仮初めの有意味ユニティである。
言語というのは、教えることも学ぶこともできない。
ただ身につけること、そして身につけることを支援することのみできる。
言語を身につける過程は、仮初めの有意味ユニティを足がかりとしながらのことばづかいの沈殿形成とことばのジャンル形成の複雑な内的過程である。

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