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○日本語教育・日本語教育学評論

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日本語教育と日本語教育学などで折々に感じたことを発信しています。
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2024年2月の記事一覧

ぼくが自分なりの教材(NEJとNIJ)を作ったわけ

はじめに  「コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場」(https://note.com/koichinishi/n/n8e73ad9cbf22)という記事で、コーディネータの仕事((1)から(3))の(1)として以下のように書きました。  (1) コースの企画と計画   (a) コースのエンドで達成されるべき目標の設定   (b​) 目標に至る「日本語上達の経路」の構想   (c) コース企画の策定(総括的評価の計画、形成的評価の計画を含む。)   (d) (a)か

コーディネータ(主任)の役割と責任、そして立場

はじめに  昨日、ぼくがコーディネータをしている、1学期/5カ月/16週間にわたる日本語研修コースが終わりました。学生は、15名。コーディネータの仕事の達成度はまあ「A」かな。そして、同じくコーディネータとしての責任を個々の学生に対してどれほど果たせたか、つまりコースの所期の目標をどれほどの学生が達成できたかというと、ざっくり言って、1/3は目標を超えて達成、1/3は目標を達成、1/3は目標まで少し至らなかった、くらいです。目標にまったく「手が届いて」いない学生はいませんでし

ぼくは、日本語教育学のフィールドワーカー!? ─ 現場、フィールドの現実の「たいへんさ」を忘れている日本語教育の専門家

 うまくまとまった話にはならないかもしれませんが、こんなテーマで書いてみたいと思います。 1.フィールドワーク  フィールドワークというのは、皆さんご存知かと思いますが、文化人類学や社会学などで行われる研究方法の一つです。文化人類学に引きつけて言うと、生活や文化が脈々と営まれている場所(site)に行って、そこで暮らしつつ、関心の人々の暮らし、生業(なりわい)、風習、祭事、言語活動などを観察・記録して、かれらの生き様やそのシステム、またそこに通底しているかれらのロジックや目