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第2回「初めて買ったレコード」

おこづかいを貯めて初めてレコードを買ったのは1962年、小学校5年生の時。東芝レコードの「ハイそれまでョ/無責任一代男」です。当時、クレイジーキャッツはテレビで大人気。特に、日曜日の夜は、子どもにとっても至福の時間帯で、夜6時からは「てなもんや三度笠」、6時半から、クレイジーキャッツがレギュラーの「シャボン玉ホリデー」、7時からは「隠密剣士」、8時から、クレイジーキャッツがレギュラーの「若い季節」を見るというのが定番コース。活躍目覚ましいクレイジーキャッツの中でも、前年スーダラ節を歌って大ヒットさせた植木等さんは、子どもにとっても、憧れの存在でした。
この「ハイそれまでョ」は、スーダラ節と違って、二枚目の植木さんにふさわしいフランク永井ばりのクルーナーボイスでムーディーに始まったと思いきや、一転、当時流行っていた8ビートのツイストのリズムに乗って踊りながらシャウトするという全くこれまでにない楽曲に心を鷲づかみにされました。桑田佳祐さんも、週刊文春に連載のコラムの最終回で、日本の3大名曲として、第一に「ハイそれまでよ」をあげ、「こんなに色んな要素がギュッと詰まった曲を、よくぞ歌い切る植木さん!!芸達者どころか、たった一人で壮大なミュージカルを演じているようなものである」と絶賛。このコラムは、「ポップス歌手の耐えられない軽さ」というタイトルで本になっていますので、楽曲に対する桑田さんの思い入れをもっと詳しく知りたい方は、是非、ご覧ください。


歌植木等、作詞青島幸男、作曲萩原哲昌というスーダラ節以来のゴールデンコンビの実力は、ここでも遺憾無く発揮されており、「無責任一代男」も、東宝映画での植木等さんの無責任男のキャラクターを端的に表した軽快な仕上がりになっています。「俺はこの世で一番、無責任と言われた男」という冒頭の歌詞は、戦前に一世を風靡した榎本健一(エノケン)さんの「洒落男」の歌詞「俺は村中で一番、モボ(モダンボーイ)だと言われた男」と重ね合わせると、喜劇人として大先輩の榎本さんへのオマージュと考えられます。
1962年年末の紅白歌合戦終盤近く、森繁久弥さんの「知床旅情」の次に白組で満を持して登場したのが植木等さん。「ハイ!それまでョ」を歌って、紅白初出場を飾り、客席は最高潮に達しました。


田村耕一
表紙イラスト 草薙祐里さん

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