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連載 YMCAキャンプ100 #02 キャンピングの目的と教育的価値

1920年、六甲山の山麓で始まったとされるYMCAキャンプは、
今年で100周年を迎えます。

連載#01 Founding Fathers
連載#02 キャンピングの目的と教育的価値

日本人の生活に、最も緊要なものは何かと言うならば、それは社会性の欠陥である。問題は吾々日本人に、協同的な自治生活、或いは協同的な動作を成す機会が乏しいから、上述のような諸点は、キャンピングによって、青少年学生の頭脳に、根強く植え付けなくてはならない。
                  ーキャンピング(増田健三、1950)

今この言葉は、とても重くのしかかる。

協同的な自治生活

「協同」とは、

複数の個人や団体が心や力をあわせて同じ目的、共通の利益を守るために事にあたること。

私たちにとって「共通の利益」となんであろうか。

1950年代、それはまさに「日本人として、民主主義を我がものにする」ことだったのかもしれない。

新型コロナウィルスの出現で、日本の姿があらわになった。

人々はマスクを買いに朝5時半から店頭に並び、ある人たちは殴り合っている。

トイレットペーパーはすぐに店頭から無くなる。

「自治」とは、

人民が国の機関によらず自らの手で行政を行うこと。

キャンプでも、自治はなかなか難しい。

Camper(人民)は、何か問題が起こるとすぐに指導者(指導的人民)と一緒にディレクター(キャンプ場の上位責任者)のところに来ることが多い。

キャンプでの生活は、「社会性」の欠陥を補完するために設計されているから、キャンプでの体験は、擬似的な社会体験と言うことになる。

キャンパー自らが力や心を合わせて共通の利益を守るために動作し、
様々な境遇の人々と協同的な生活を送ることで、これからの社会を生き抜くための力を身に付けてもらうことが、今のキャンプには必要なのだろう。

キャンプの父たちは戦後日本で、「民主主義」のためにこの手法を用いた。

それから70年余りが経ち、「民主主義の限界」も見えてきた。
しかし私たちには、一周して、協同的であることの難しさが突きつけられている。

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