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山手のドルフィンは静かなレストラン


SNSに食べ物の写真を載せるのは好きじゃない。
別に、他人が載せる写真は気にならない。親指を数センチだけスクロールすれば済む話だ。好きなだけアップすればいいと思う。
ただ自分がそれをすることには抵抗がある。
以前、数人で行列の出来る有名店に入った際、僕以外の皆が一斉に運ばれた料理の写真を撮りだした。
そこで一人の子が「何で写真撮らないの?」と聞いてきた。僕は困ってしまい「死んだ親父の遺言で止められてる」と言った。

ちなみに父はまだ健在だ。

母を連れ横浜は山手のレストラン「ドルフィン」へ。
母は実に43年振りの来店となるらしい。
話を聞くと、結婚前に父とは別の男とフェアレディZで湾岸線を飛ばして来た、ということだ。
聞いてもいない移動手段の話までしてきたので、きっと良い思い出なのだろう。
当時のドルフィンは高台から眼前の海を見下ろす絶景のレストランだったようだ。
ユーミンの楽曲にも登場する。

あなたを思い出す この店に来るたび

坂を上って今日も一人来てしまった

山手のドルフィンは静かなレストラン

晴れた午後には遠く三浦岬も見える

ソーダ水の中を貨物船が通る

小さなアワも 恋のように消えていった

「荒井由実 / 海を見ていた午後」(1974年)

残念ながら、今はそれほどの絶景ではない。情緒のない言い方だが「マンションと石油コンビナートを見ていた午後」というのが正確な表現だ。
しかし母は満足していたのか、ずっと景色を見ていた。おそらくその目線の先には、遮るもののない40年前の景色が広がっていただろう。
そして隣には見知らぬ男の幻影も。
母は、父以外の男をどのくらい知っているのだろうか。
ふと、そう思った。

しばらくするとウェイターがソーダ水を運んできた。そのタイミングで店内BGMが「海を見ていた午後」に切り替わるという少々痛い演出つきだ。赤面する僕をよそに、母はさらりと「お父さんも別の女の人と来てたの」と言った。
僕は「ふーん」とだけこたえた。

ドルフィンには両親を誘ったのだが、父は来なかった。そして母も、父には来てほしそうではなかった。
双方の事情。43年前の情事。
僕は勝手に、それぞれ別の異性との思い出の場所だから、と考えた。



心の中から取り出すと、薄れていく、あるいは無くなってしまうものがある。例えばそれは「記憶」だ。
口に出したり、活字にした瞬間、色褪せていく記憶たち。
誰かに悩みを話すと少し楽になる、というのはこのことだろう。それはSNSに日常を切り貼りすることと似ている。だから僕は料理をアップしない。美味しかった料理、その空間をシェアした人たちとの思い出を心に留めておこうと思う。
いっときの記録より、記憶に重きを。
僕は記憶力が悪いので、そうしないとからっぽな人間になってしまう気がして。






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