雑日記


昨日は参加している展覧会のレセプションパーティーがあり、しこたまワインを飲んだりしたので今日は朝から頭が痛い。その前日に元教え子と「ワインは悪酔いするから気をつけよう」という話をしたばかりだったのに、自分の自己管理能力の低さに軽くゾッとする。
でも悲しい話、ワインって美味いんだよな。特に展覧会なんかだと誰かの差し入れで良いワインが出てくることが多い。昨日のワインも美味しかった。オレンジのいい香りが漂っていて、味も癖がなかったので水みたいにグビグビ飲んでしまった。そりゃ今日は頭痛いわな。思い出しながらまた反省。

今回の展覧会に出した絵、実はものすごく気に入っている。気に入っているというか、自分からはもう二度と出てくることは無さそうな念のようなものがこもっている。
半年前、心から信頼していた人にド派手に裏切られ、その三ヶ月後には決して成就することは無さそうな難恋にヌルっと落ち、来る日も来る日も行き場のない思いをグツグツと煮込む毎日を送っていた。30過ぎて何をやってるんだ・・・と謎に反省もしてしまうが、恋心はいつも制御不可能なので仕方ない。
だんだんと今の自分が何を欲望しているのかもよくわからなくなった。誰を想って、何処に立って、どういう未来を望んでいるのか、全くわからない緩めのパニック状態は続いた。車を買ったり、旅行をしたり、服を買ったり、俺らしくない行動に溢れた半年間だったが、この鬱々とした感情を根本から解決するような変化は訪れなかった。

そんな日々と訣別するための絵だったように思う。
ネガティブな感情ではなく、厨二病的なナルシズムでもなく、描いてる最中は本当に「今死んでもいい」と思っていた。いや、今でも心の奥底の方では思っているのかもしれない。とにかく自分の中に溜まっていた疲労のようなものが全て溢れ出たような絵だった。[他者]に近づいたり遠ざかったりを繰り返す人生の中で、その距離感の在り方を考えるための制作を重ねてきて、初めて他者そのものがどうでも良くなる感じがした。

今でも生きる希望はない。まあ、そのうちまたどこかで拾うかもしれないし、別に死ぬこととかは考えていない。なんか勿体無い気もするし。
これからまた生きるための方法について考えていこうと思う。なんだかんだ表現の本質は「自己分析」で、制作行為の本質は「治療」だ。富や名声に彩られた夢があるわけではない。ただ死にたくなくて、延命する方法を探すようにして手を動かすのだ。それはこれまでもこれからも特に変わらないことだろう。
今回の制作で病が一つ治ったのだと、そういうポジティブな解釈でこの話は終わらせておく。


いや、でもこれからの未来はどうしよう。それなりにワクワクもあるが、今の自分の欲望(病)の実態に関しては皆目検討もつかない。
今はデザインの勉強とかしてる。それがどういう欲望に基づいているのかはわからないが、やる必要がある気がするのは確かなので、とりあえずはそれに縋る。
まあ大丈夫。家族を旅行に連れて行きたいし、友達と展示するのは楽しいし、好きな人とは結ばれんでもたまには会って話せるし。
また次の希望と出会える日まで、淡々と手を動かして時間を溶かして行けば良い。これまでもそうやって生きてきた。そうやって色んな人に巡り会ってきた。
多分これからだってそうだ。そうでなかったら、どうすればいいのか。

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