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心配、という気持ちだけなら何もしていないのと同じだ

傍にいないということはこういうことだと、思い知った1週間でした。


ここに詳細を書くのは少し憚られるので伏せますが、
パートナーにある出来事があってとても参っているようでした。


「参っているようでした。」

そう、わからないのです。
直接顔を見ればわかるけれど、LINEのメッセージでは文字になっていること以外伝わってこないから。


何かあった時
つらい時
苦しい時
もう駄目だと思ってしまった時


代わってはあげられないけれど、一緒に背負っていくことはできる。
背中の重石を取ることはできないけれど、手を握ってあげることはできる。

私たちはまだ若いし結婚して3年でまだまだ大した困難があった訳ではないけれど
多少なり壁にぶち当たることはあった。
生きてればそれくらいある。

そしてそのたびに互いを励まし、慰め、時に叱咤してやってきた。

そうやって先の長い人生のパートナー、戦友として一緒にやってきている。

もちろんそれと同じくらい日常生活では喧嘩するのだけど、
相手に何かあった時はそんなもの放り投げ、駆けつけるのが当たり前だ。

それがそう簡単にできなくなってしまったのが今。


別居婚


日本国内だし、なんなら関東圏内だから日帰りもできるけれど


それでも


物理的に距離がある、とはそういうことだ。






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