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ひとりの洗濯、ふたりで洗濯

朝起きて2人でモーニングへ行き作業をこなし、一度帰宅して午後から出かける前に洗濯物を干すことにした。


前回の帰宅では、用事で家をあけている夫にかわって独りで洗濯、掃除、料理と家事をひと通りこなしている時間がとても不満だったのに今日はとても晴れやかだった。


夫が1週間溜め込んだ洗濯物を洗って干す。

(ここで「溜め込んだ」という表現を使ったことを夫に知られれば意図的に溜め込んだのではない、できなかったのだと意を呈すだろうが私からすれば同じである。要は1週間分の洗濯物を処理しなければならないのだから。)

自分のものではない洗濯物を片付ける。
やっていることは同じはずなのに、今日はひとつも苦ではないしなんなら楽しかった。

なぜか、その答えはわかりきっていて、
今日は夫と一緒だったから。

2人で他愛ないおしゃべりをしながら洗濯物を干す。

バスタオルとって、
もっとあっち行ってよ、
そこの割りばしとって、割りばしってなんだ??うん、ほら洗濯バサミね、
ハンガー足りないんだけど、
おまえが東京に持って行くからだよ、
ありえない。だって私が持っていったの買い足したやつだけもん、
え、じゃあ今の嘘ついたわ、
おいこら、


みたいな。こんなやりとりができる。
毎日暮らしを共にしていればあたりまえなことだけれども

会えない日が続く今、それはあたりまえじゃない。


洗濯物を干す、という行為は文明の利器によって削減されるべき家事トップ3に入る。

そう確信を持っているのけれど、これだけ楽しい時間になるのならそう悪くないかもしれない。


何事も捉え方がすベて。




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