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土日に備えてきのうなに食べたを観る

 あっという間に金曜日。今週は月曜火曜とインフルエンザ解熱後の
夫と息子がいたので、特に短く感じる。私は今のうちに、息を吸うように再放送の「昨日なに食べた?」をつけて、シロさんとケンジに会いに行く。あぁ、また騒々しい週末がやって来る。
 小学生の頃からドラマ大好きっ子のままおとなになった私だが、なんというかこのドラマは特別枠だ。日常が騒がしければ騒がしいほどに、このドラマが私に静寂のバランスをやじろべぇのように取ってくれるというか、なんなんだこの穏やかさは。誰に理解されなくてもいい、じんわりと幸せな時間が流れる。
 私はお芝居のこととかなにもわからないが、シロさんが映画俳優の西島秀俊さんで、検事役の内野聖陽さんが舞台俳優で、その静と動のバランスが素晴らしい、というような記事を先日読み、その視点でまたドラマを見ると、ほほぅ、本当にシロさんは表情が豊かで、ケンジの動きは計算されたものなのだと、感心しきりで、また目が離せない。
 原作の時から好きなのか聞かれるが、まだ実は、マンガ本に手を付けていない。今めちゃくちゃ読みたい気持ちになっているが、これからの人生で、なにかとてつもなく辛いことや嫌なことがあるかもしれないので、そのときのために、なに食べさえ読んだら幸せになれる自信があるので、とっている。
 家族がいるときに、観たい気持ちにはならない。このドラマの魅力を説明するのがめんどくさいのだ。子どもたちの前で観るもの気が引ける。LGBTのこととか、そんなことを話したいわけではない。いつかは話題に上がる日が来るのだろうけど、その教材になることもあるかもしれないけれど、私はただただ、シロさんとケンジのやりとりと暮らしに癒やされたいだけなのだ。
 私の家族は気がついていないが、私がこのドラマにどっぷり沼っていることによって、ガッツリ恩恵を受けている。このドラマに出てくるおかずがどれも美味しそうで、私のご飯めんどくさいモードを一気に、なにか美味しいものを作ってあげたい、家族にご飯を用意できる幸せを噛み締めモードにギアチェンジさせてくれるのだ。シロさんが弁護士というハイソなお仕事をしていながら、朝夜25,000円で二人の食費をまあまあ苦労しながらやりくりしている姿は、この地方の一介の兼業主婦に勇気を与え、このおかずを真似してみたいと、台所仕事に引き戻してくれる。癒やされてご飯を作る気になって穏やかに過ごせるドラマがかつてあっただろうか。もし私のアマゾンプライムでとんでもない量の何食べの履歴が出てきたとしても(出てくるんだが)家族は誰も咎められない。
 このドラマに出てくるキャラクター、全員が好きだ。全員が愛おしい。誰もな人がいない。優しい世界線だ。とりわけ、田中美佐子さん演じる佳代子さんは、時々ものすごく優しくて、ものすごく救われる一言を置いていってくれる。キリが無くなるので、今日は佳代子さんの好きな言葉2つを記して終わりたい。
 キャベツが2玉でも3玉でも同じ198円(くらいだったと思う)だから、佳代子さんがシロさんに1つはコールスローにしましょ、といって、佳代子さんのお家でふたりがひたすらキャベツを千切りするシーンがある。無心でトントンしながら、シロさんにこういう。「ねぇ、料理っていいわよね。無心になれて。」主婦だって人に話せることも話せないことも、何かしら毎日いろいろあるのだ。佳代子さんにも起きてるんだろうな、それをこの人は料理をしながらうまいこと受け流したり切り替えたりしながら生きてきたんだなぁ、と解釈した。ぶんぶんチョッパーやスライサーを使わずに、トントンと包丁を動かす姿が、はぁ、なるほど。料理の動作が、ルーティンというか、一つ大事な意味を持っているのかもしれない。キャベツを手に取ると、時々、私の脳内に住み着いた佳代子さんが、コールスローにしないかと、声をかける。私はトントンと、包丁を使って、できるだけ細く、切る。
 もうひとつは、お正月スペシャルにて。シロさんが珍しく、というかはじめて、シロさんのお父さんとお母さんにお金を工面してやった帰りに、佳代子さんに今お金がないのは、自分のせいだと打ち明けるシーンがある。シロさんの学生時代に同性愛の気配を感じた杓子定規だったお母さんが、受け入れられない様子で、ツボや水にすがり、女の人を好きになりますようにと、
仏壇に手を合わせ、神頼みする姿は、なかなか強烈で、それを観てしまった学生時代のシロさんもドン引きしている。と同時に、それを何十年も抱えて生きていたように見える。自分が同性愛者のせいで、親に余計なお金を使わせた、と自分を責めている。それを佳代子さんが、明るく笑い飛ばす。「もしかしたらそのツボのおかげで、筧さんがこんなに立派に育ったのかもよ!」
 こんなに優しく、誰も傷つかず、報われる一言が、他にあるだろうか。「気にしないでいいわよ!」ではぜんぜん違うのだ。そしてこの一言を、シロさん関係者、たとえばおかあさんやおとうさんが言ってしまうと、恩着せがましいというか、え。そんなこと思ってたの!?と、なりかねない。隣人他人である距離感のある人が、肯定してくれたことによって、シロさんはお金を使ってしまったお母さんをまるごと受け入れられることができた。シロさんが佳代子さんに出会えてよかったと、痛烈に感動したシーンだった。
 好きなシーンを書き出したらキリがないので、今日のところはこの辺で。穏やかさをチャージしたところで、私の主戦場に戻ります。また月曜日に、二人に会いに来よう。

 



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