見出し画像

#61 「前世の記憶が蘇るような表現を」


月市、8月のテーマは「自由研究」

今回の記事は、大分県佐伯市でカメラによる表現活動を行うJくんのインタビュー記事となります。(前回は、イラストレーターsumireさんの記事。こちらをクリック。)

月市に展示してくれているJくんの写真には物語がある。表現全体で貫通したイメージが在り、映画におけるチャプターのような存在で一枚一枚の写真が存在している。そんな写真家である彼を展示だけでは紹介しきれないと思い、Jくんをインタビューすることにしました。これを通じて、みんながまた少し生きやすくなることを祈っています。


月市、10月テーマ「からだはうえを統べる」

ーーー

◯ 登場人物
月市:コーヨー(コ)
写真家J:(J)

ーーー

1_親の名は「写真集」

_Jくんは、なんでカメラを始めたの?


コ)Jくんと知り合ってからも月市に出してもらってからもだけど、アウトプットが変わってきてるよね。表現の根幹は変わりないんだけど、写真の連続で見せる動画だとか手法が変わってきてる気がしてて。

改めて、なんで「カメラ」で表現しようと思ったのか聞いていい?

J)めちゃくちゃ恥ずかしい話なんですけど笑 テレビ番組「マツコ会議」で若い女の子が「写ルンです。が流行ってるんですーフィルムー」って言ってて、それみて〝いいなあ〟って思ったんですよね笑

コ)それ、きっかけなんですか?笑

J)でも、自分がやるならちゃんとアートとしてやりたいって思ったんです。アートはずっと好きで油絵を描いていた時期があるんですけど、全く写真に触れたことがなくて、お金もないので図書館に行ったんです。

そこに在ったのが荒木経惟や土門拳の写真で。その図書館にはたまたま写真家の写真しかなくて、これが写真なんだなって思っちゃったんですよ。写真が分からないから、それを教本がわりにずっと見続けていて。

景色や生活の写真に興味はないんだけど、僕が撮りたいと思うのはアート表現だと分かったんです。教本も買わずに自分だったらどうするかな?と考えながら、写真集を見続ける日々でした。綺麗なものや飾るものという意識は最初からなくて、写真って物語を伝えるものだと思っちゃったんです。

コ)なるほど!
一番最初に見たものを親と認識してしまうような感覚だ!

J)みたいな感じかもですね笑。
一番最初に買った写真集を見ると、特性はそこからきてるものが多くて。
〝わざと情報を多くして画面を緩くする〟とか荒木自身の「完成させたくないよ」という言葉が残ってもいて。今その本を読むと、染み付いてるなあと感じますね。

2_「写真家」のスタート地点とは

_集積のネガが物語ること

コ)今と昔も地続きで、積み上げていってる感覚ですか?

J)これまで自分の写真の良さが分からなかったんですけど、何年か前に急にふと〝やっとスタートに立てたな〟って瞬間があったんですよ。

コ)それはどんな時だったんですか?

J)それまでの写真は納得いくものがなくて、今見返しても意図が組み取れちゃうからみるのも嫌なんですよ。これまでのネガは全部捨てていいくらい笑。ずっとやってきたことがイメージするものと一致してきたので、これからは表現方法に着手できるって感じですかね。

コ)そのスタートに立った瞬間、分かる気がします。
Jくんの写真を撮る意味って変わってきてますか?

J)変わってきてますね。始めた時に全く自分が無さ過ぎたんですよ。
もし仮に死ぬことがあったとしても、自分が居た証のようなものを作ることができたらそれで終わりでいいかなって思ってたんです。

そのために何年間も手製の本を作ってきてて、作ったものは全部リハーサル。最終的に納得できて認められる物ができたら終わっていい。そう思ってたのが、展示をはじめて薄れてきた感覚なんですよね。

コ)なるほどなあ、、。

J)それまで人にみせるってことをしなかった理由が、自分の中のことなので他人から評価される物じゃないし、見せびらかす物でもないものだと思ってたんですよ。自分が納得するものだけを探してたつもりが人にみせるとなった時に、少し変わってきていて。

月市でも感じるんですけど「自愛と他愛」がテーマのときは、自分が苦しかった頃を恥ずかしいけど出して、同じ境遇の人が〝それでもコイツ生きてるからいっか〟と誰かが思ってくれるのであれば出したい。作品への評価がどうだっていうよりは、月市では見た人がどう感じるのかを考えて出してますね。誰かの考え方を良い意味でひっくり返したい

コ)それは、手製の写真集のときはなかった感覚ですか?

J)手製の頃は、私小説のような遺書に近くて。展示を始めてからは、その考え方が抜けてきましたね。今までは自分中心で、誰になんと言われようと自分が心打たれたから写真を残しているだけという態度で。

今は伝える為の写真を使った〝何か〟でも良いかなと。

コ)写真を使った〝何か〟かあ。確かにそうだよね、Jくんは写真に拘っていなくて、考え方をひっくり返す為に注力してる感じがする。

J)写真が好きじゃないんでしょうね。現代写真の流れがあって、写真家でも写真を使わない人もいるんですよ。

写真を撮る人からすればちゃんと撮って見せてくれよっていわれちゃう。けど僕のしたいことは、そこじゃないなと。

コ)アートとしての写真という技術を使った表現になるってことだよね。

J)最近は、生活の中で頭で起こってることを言葉じゃなくて写真に置き換える。よくコーヨーさんが言ってくれる「Jくんの写真は言葉だよね」と言ってくれるけど、その言葉のようなピースを作っていってる感覚で。

コ)その言語の精度が上がってきてるよね。

J)人がみてくれてるからですよね。

3_「写真」を用いた新たな方向性

_言葉から離れると新しい言葉が生まれるかも

J)最近、自分の中で整理して、写真の方向性が一つ決まったんですよ。頭にずっと過ぎってることは「新しい言葉」みたいな感じすかね。

例えば景色を撮りにいく→撮る→プリントにして人に見せる。これって、みんなが知ってる写真の行為じゃないですか。

僕は、写真を言葉から離すとか知らない言語みたいな物を作りたくて。自分で撮ろうと思うものは単語が抜けていく写真にしたいと思ってます。

景色を撮るにしても標識があったら標識の写真になる。その標識がなく中心に何もない写真だとなんの為の写真だか分からない。だからより見る人からしたら意味が分からない。みる人を意味や言葉から遠ざけたくて。「夕陽が綺麗だ」とか「この子の笑顔がかわいい」とか言語化できる写真から切り離したい。

それが新しい言語や感覚。
論理的の真逆にいける気がしてます。

コ)(頭の中がワクワクして)面白い!

J)物を撮るという写真行為がだんだん嫌になってきて。極端な話をすると、みた人の前世の記憶が蘇るくらいの物が撮りたい笑。

〝見たことあるけど、なんなんだろ!〟〝前世こんなところにいたのかな?!〟って思ってもらえるようなものを撮りたくて。

それは、物に中心が有る限り無理で。その人にしか感じ取れない何かができたら成功なんだと思う。

コ)それを言語化できるところまで辿り着いてて、写真における一般的な技術ではなくて、新しい言語となるとその為の技術が必要だよね。

J)だから今は勉強じゃなくて、感覚とかイメージを研ぎ澄ます道が見えた気がします。小説を作る感覚よりは詩を作る感覚に近いかもしれません。

コ)僕らも所謂みんなが知ってる着物というものからどう離すか、だけど身近な存在になってほしいといつも考えていて。洋服に着地したい訳でもないから、みんなが知ってる言葉じゃない服に持っていくためにどうするかを今やってるし。Jくんの言ってる写真での「新しい言葉」は共感してるよ。

ーーーー

コ)今後、何かやっていくことはあるの?

J)来年辺りは、展示場所を借りて完全に空間をつくりたいと考えていて、アート表現をするのに大分市ではあっても佐伯市ではできないので。それを一人ですることに意味があると思ってて。写真撮ってる人ではなくて、表現者する人として、少しづつ攻めて行こうと考えてます。

コ)それをやるのは大事ね!めちゃくちゃ楽しみ!

ーーーー


このインタビューは、毎度の如く事後報告で記事にすることを伝えています。対話の中で出てくる気取ってない言葉から本質的な意志が垣間見れると信じていて。今回も写真を撮る行為が日常になった現代社会とは真逆で、「カメラ」を用いて自分だけが目指す表現の道を歩んでいくJくんの話を聞くことができました。

デジタルの便利なもので、高い技術が高価格で手に入る世の中では、本当に手に入らない価値のあるものは意外と身近に在るのだけど、ブルーライトの灯りで目が向けにくくなってきてる気がしています。

アートそのものも非言語コミュニケーションの一つと捉えることができるし、全く意味がないと捉えることもできて、そのグラデーションがある種の隠れ蓑になって真実を潜ませている。誰も傷つけたくないしでも抱えていては狂ってしまうほどの悲鳴を包めてくれる毛布のような存在だったりもする訳です。

大袈裟でもなく
今僕は、芸術が人を救うのだと再認識しました。

月市では、彼の作品を眺めながら「新しい言葉」について話しましょう。ありがとうございました。

ーーーー

Photo J インスタグラム

https://www.instagram.com/photoj28/

月市 インスタグラム

https://www.instagram.com/tsuki1ichi/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?