音楽で「間違っている」という言葉は絶対に使ってはいけない
過去、何度も言われていることではありますが、音楽で「間違っている」という言葉は絶対に使ってはいけないと思っています。
その表現をする人は、音を「合っている⇔間違っている」という2極のフレームで捉えている。
音楽を作る人がそのフレームで考えるとどうなるのかというと、
自分の学習していない音の使い方や、体系化されていない(過去に例がない)使い方は「間違っている」ということになってしまい、表現の幅が狭まってしまう上に、新しい可能性も閉じてしまう。
歌などの音程も、元と比べて違っているかどうかで捉えてしまうと「いい・よくない」という本質的なことが見逃されるような気がします。
じゃあ、どうすればいいのかというと、
おすすめなのは音を「色彩」とか「語法」で捉えるということなんですよね。
色彩とか語法であれば、色遣いがめちゃくちゃでもいいなと思ったり、言葉遣いが変でもいいなと思ったりするわけで。慣用的なものから逸脱しても可能性を殺さない。
過去の蓄積である、音楽理論も判断の指標としては重要なんですが。
細部を磨く、較正のようなミクロな視点も持ちつつ、大きな視点で善し悪しをジャッジする、マクロな視点も持っている人が最強ではないかなーと。活躍している作家のほとんどは両方を持っている気がします。
ちなみに、僕が大好きなウォルター ピストン/マーク デヴォートの音楽理論書ではどういう言葉を使っているのかというと、「ずっとよい」「許容」「異例」などの言葉を使って説明していて、変な音になっていても否定はしていません。
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